第9回
光風暦471年10月1日:巡る時を越えて
『それじゃまた会おう、この後すぐにね。僕が言うのも何だけど、頑張ってね』
「ジョー!」
クローディアとエブリットが、真っ先に叫んだ。
ディクセン達、ジョーを追って来た戦士達も、続けて口々に彼の名を呼んだ。
「ジョー! ついに見つけたぜ。まったく気をもませやがってよ」
思わず顔を紅潮させるディクセン。他の多くの者も同じ事を言いたげだ。
ジョーはそんな彼らを見て、ばつが悪そうに笑った。
「へへ。旅に出ている間に、『俺』はずいぶんたくさんの仲間と知り合えたみたいだな」
意味が分からない発言である。
「どうされたのです、『運命の戦士』殿。まるで他人のことのようにおっしゃいますが。
よもや、復帰の際に記憶を失われたのですか?」
自らの安堵の心に冷や水を浴びせられたような心境になりながら、ソーンが問う。
「いや、そうじゃない。俺は、みんなと出会った『ジョー』の分身なんだ。
このバートラムに分身を作る術を教わって、本体の『俺』がレグナサウトに旅立った。そしてこの俺は、ゼプタンツに残って国政を続けていた」
話の内容に取り残されそうになりながら、ヒューイがこう尋ねた。自らの頭の整理を兼ねながら。
「じゃあ、悪のザコ、いやジョー。あんたは、異世界神に倒されたわけじゃないんだな。
いや、正確には、本体は異世界神に倒されたけど、分身は無事に残っていたというわけなのか?」
ジョーは人差し指を頬に当てながら腕組みをして、一瞬宙を仰ぐ。そしてこう言った。
「まあ、大体そんなとこかな」
今度はユリが、おずおずと上目遣いに質問した。
「でも、なぜそんなことをしたんです? もしかして、テュエールに倒されることを予測していたんですか?」
ジョーは、笑顔で首を横に振る。
「いや、そうじゃない。王ってのは存外忙しいもんでさ、私用で国を空けることはまかりならないんだ。
それでバートラムに相談して、こいつの知ってる分身の術を教わったんだ」
レイザンテの長グリニスが、さらに尋ねる。
「ではなぜ、そこまでして国の外に出たかったのですか」
ジョーは、不敵に宣言した。
「そいつは、そのテュエールを倒したら分かるはずだ。どうも、そうしなきゃ俺の旅の目的も果たせないらしい」
これに対してテュエールは立腹した。ジョーを指さしながら早口に告げた。
「いきなり出てきて、ずいぶん生意気な口をきくんだね。
この僕を倒すだって? 君が?
いま調べさせてもらったけど、君はたかが83レベルのエクスパートじゃないか。笑っちゃうよ」
そのレベルは他の仲間からすれば十分に高水準ではあったが、レベル182の『ジョー』本体でもテュエールに勝てなかった以上、まったくの無力であることは間違いなかった。
「仕方ないだろ。
戦闘能力は本体に全部残って、分身はレベル1からスタートするんだからよ。これでも結構頑張って鍛えたんだぜ」
ジョーは、気楽な笑顔で愚痴をこぼした。
しかしそれは、テュエールの冷笑を誘うのみだった。
「そんなに頑張ったって言うなら、褒美をあげるよ。
その君の雄姿を、もっとたくさんの人間達に見てもらおうじゃないか。
君の本体がこの旅で出会った人間達を、全部この場に呼び寄せてあげるよ。
そして仲間達の前で、恥を晒しながら死んでいくといい。この僕の手によってね。君だけは楽には死なせない」
テュエールが左手を空に向けて掲げると、広間の縁に多くの人々が一斉に現れた。
それはテュエールの言葉に相違なく、ジョーがレグナサウトで出会った人々だった。
レイザンテの人々。イルバランの神殿の子供達。女王マリアニータ。その他、数えきれないほどの人々が漏れなく呼び寄せられていた。
彼らは突然の召喚に混乱しながらも、しだいにジョー達の姿に気付いていく。
また、時を同じくして、エドワードやイングリット、そして彼らの部隊の兵士達も広間に押し寄せてきた。
「愚かな人間達に告ぐ。
ここにいるジョーに見覚えがあるだろう。この者は、神であるこの僕、テュエールに許し難い反逆を企てた。
よって今から、君達の前で処刑を行う。
その目に焼き付けよ。この者が苦痛に嘆き苦しみ涙する様子、そしてもがきながら死んでいく様子を」
衝撃的な宣言に、周囲がざわめく。
しかし、当のジョーは涼しい顔をしたままだ。そしてあろうことか、テュエールに対してこう言った。
「ありがとよ。とびっきりの晴れ舞台を用意してくれて」
そしてさらには、アルゴスとバートラムがそれぞれ、ジョーにこのような言葉を残してその場から姿を消したのだ。
「ではここは任せたぞ、ジョー」
「ここまで時は稼いだ。後はお前の正念場だ。分かっているな」
『運命の戦士』が二人も、この場に見切りをつけて立ち去った。形勢は明確さを色濃くする。
「おやおや、ずいぶんと親切なことだ。あえて君達を全滅させやすくしてくれるなんて。
もっともあの二人の『運命の戦士』がいても、僕の前じゃまったくの無力だっただろうけどね」
残虐さはそのままに、テュエールが溜飲をさげる。
しかし、これにはジョーが水を差した。
「へっ、いつまでとぼけたこと言ってやがる。
バートラムの奴なら、お前さんぐらい完勝で封印できるっての。
じゃあなぜ、そんな勝機をあえて逃したかっていうとな」
ジョーがにやりと笑う。その顔には、やはり敗色は微塵も感じられない。
「俺がお前さんに勝つからだ。
いくぜ、『Terminate Multiplication』!」
その一瞬、ジョーがうっすらと二人だぶった姿に見えた。気のせいかと思うほどの一瞬。
その二人のジョーは、すっと一人の姿になり、それきりで変化の全てが終わった。
ジョーは、改めて懐かしそうに周囲を見渡し、そして挨拶した。
「よう。久しぶりだな、みんな」
まごうことなき、見知ったジョーの笑顔だった。
彼の変わらぬ笑顔に、クローディアの目から知らずと涙があふれてくる。
「ジョー、ジョー! そなたは、本当にジョーなのだな!」
彼女はふらつく足でジョーに駆け寄ると、我も忘れて落涙する。
「待たせたな、クローディア。約束を果たしに戻ってきたぜ」
何があっても守るという約束。はるかな過去に、クローディアが少年のジョーと交わした約束。今ならクローディアにもその意味が理解できた。
「まったく、今まで何をしていたのです。この私が、柄にもなく心配してしまったではありませんか」
エブリットもまた、今いるジョーが自分の出会ったジョーであることを直感的に理解していた。
皮肉屋の彼が言葉を詰まらせ、その目にはうっすらと涙すら浮かんでいる。
「すまねえ、エブリット。
テュエールと一戦した後も、生きてはいたんだ。大技を使って、消耗して死んだふりして逃げ出してた。
で、それから今までちょっとやることがあってな。今の今までそっちに必死になってた」
今度はランスとエリシアが、笑顔で短くジョーに告げる。
「おかえり、ジョー。待っていたよ」
「ジョー様。この時を信じておりました」
二人とも、言葉どおりジョーの復帰を心から信じていたようだ。
ジョーは、そんな二人に親指を立てた。
「ああ。旅に出たことが無意味で終わらないようにしなくちゃな」
再びテュエール不在で話が進んでいくなか、テュエールの機嫌が再び悪くなっていく。
「ふん、今ので本体と分身が一つになっただって? はったりだよ。
そもそも君の言う本体は、確かにあの時倒れたんだから。命の全てを使い尽くすという、『霽月剣(せいげつけん)』という技を使ってね。
それに仮に君の言うことが本当だとしても、戦いを放り出して、今まで何をしていたっていうんだい?」
そしてテュエールは、拳を作って身構える。彼の拳が魔力を帯びて、赤く輝く。
とてつもない力だ。先のゾースティの時とは、まるで比較にならないほどだ。こうして同じ場にいるだけで、おぞけとともに、抑え難い身震いが催される。
「そんな呑気なことは、もうこれ以上言わせない。まずは、君の腕を一本もがせてもらうよ」
そしてテュエールは、光がごとき速さでジョーに踏み込み、その肩口をめがけて拳を放った。
その場の一同は、ジョーが死んだと思った。それどころか、自分も死んだと思った。
テュエールの一撃は、それほどの暴威であった。
しかしジョーは右腕を軽く上げて、その下腕で攻撃を受けきった。
凄まじい轟音とともに、赤い魔力の光が弾けて霧散する。ジョーの血しぶきとともに。
そしてその結果、完全に動きを殺されたテュエールと、攻撃をしのぎきったジョーが残った。ジョーの腕からは血が流れているが、さほどの深手ではないようだ。
「なんだって」
飛び出さんばかりに目を丸くするテュエールに対して、ジョーは肩をすくめながら言った。
「そろそろ現実を認めろって。今の俺が何レベルか、見てみなよ」
テュエールは固まったまま、放心状態になってつぶやく。
「238……エクスパート」
二人のジョーが合体して得られた効果。それはレベルの飛躍的な上昇。すなわち、段違いの戦闘能力の獲得であった。それぞれのジョーが得た経験の量が足され、合体後の彼のレベルが一気に上がったのだ。
ジョーはテュエールに告げる。
「『霽月剣』を知っていたとは光栄だな。
あれは俺達の技、『霽月流』の奥義。過去にバートラムが使って、一度命を落としたことがあるから、お前さん達はそのことを知っていたんだろうな。
でも、俺が使ったのはその改良技、最奥の『霽月剣・最霽』だ。死ぬ間際のぎりぎりで、生命力の消耗を止めることができる。
作られて間がない技なんだけど、こいつも旅に出る前に、バートラムの奴から教わっておいたんだ」
呆然自失のテュエールからは、何の返事もない。
「インチキだって思ってるかもしれねえが、これが俺達だ。戦いの中で日々成長しているんだ。
あと、これまで何をしていたかはじきに分かるさ。でもよ、今は」
ジョーは右腕を下ろし、今度は自分が拳を固める。そして彼は、テュエールに言った。
「とりあえず、一発殴らせろ」