第7回

光風暦471年10月1日:黄金の友

『そんな未来を目指すなんて、考えたこともなかった。いや、こんな今が来ることからして、考えたこともなかったよ』


「アルゴス陛下、なぜここに」

 エブリットは、地獄の底に神の救いの手が差し伸べられたような心境を味わった。

 アルゴスは、この世のものとも思えぬほどの美貌を惜しげもなくさらしつつ、エブリットに、そして散り散りになって肩で息をしている仲間達に、優しく言った。

「言ったはずだ。この戦いは貴公達だけのものではない、と。貴公達だけを戦地に差し向けはしない」

「アルゴス陛下。ハイ・ダリス王のアルゴス・イズナレイ陛下」

 初対面となるクローディアは、驚嘆の眼差しをアルゴスに注いでいる。そんな彼女にも、アルゴスは鼓舞の言葉を向けた。

「いかにも。

『西方の聖者』クローディア殿、苦境の中をここまで耐え抜いて来られたのは、ひとえに仲間あってのことであろう。

かたや、仲間を思い苦悩の時を過ごした貴公に、エブリット殿達も精一杯の思いで応えた。ゆえに貴公達は、敗れることなくここにある。

そして、貴公達にはさらに知っていただきたい。この戦いの中で、多くの者も仲間として力を尽くしていることを。今より、そのほんの一端をお目にかけよう」

 突如として割り込んできたアルゴスに、ゾースティは不快そうに告げる。

「ずいぶん大きな口を叩くものだな、人間よ。よもや、貴様が私を倒すつもりだなどと言うつもりではあるまいな」

 アルゴスはゾースティのたしなめを意に介さず、涼しい顔をして答えた。

「いや、私では貴公は倒せぬ。合体したエブリット殿達の戦闘能力は、私をはるかに凌いでいたのだから」

 憐憫の目でアルゴスを見やるゾースティ。

「では、貴様は何をしに出てきたのだ。その者達を逃がすため、盾にでもなるか?」

 アルゴスは、冷静さを保って答えた。

「その程度なら、私にも少しは務まるだろうな。しかし、ここでの私の役割はそれにあらず。

この場で戦う同志に希望をもたらすこと。そしてここに他の仲間を導きつつ、その仲間が到着するための時間を稼ぐこと。この二つが私の役割である」

 ゾースティは、残虐な笑顔をアルゴスに向ける。

「ならばそれはまったくの徒労だ、人間よ。

そなたのもたらした希望は、私によってすぐに絶望に変わる。そして時間稼ぎなどさせん。これよりすぐに、貴様達を始末してやる」

 ゾースティの握る長剣が、赤い妖しい光を帯びる。神の持つ強大な魔力が剣に込められていく。そこから発せられる殺気の凄まじさに、クローディア達は一様に戦慄した。しかしアルゴスは、それでも表情を崩さない。そして宣言した。

「残念だったな。既に時間稼ぎは終わっている。私達の勝ちだ」

 アルゴスの背後が一瞬、金色に瞬いたように見えた。それは神殿の入り口の方向だった。

 それを見つけたゾースティが何だろうと思ったまさにその瞬間には、既にアルゴスの隣に一人の戦士が飛来していた。

 一陣の疾風とともに現れたその戦士は、全身に金色の鎧をまとっていた。そしてその背には巨大な黄金の翼が。これを広げて、ここまで飛んできたのだ。

 戦士の素顔は、兜の面頬に覆われて見えない。右手には透き通った刀身の長剣、左手には巨大な金色の盾を、それぞれ携えていた。

 なかでも目を引くのはその剣だ。細剣もかくやという細い刀身が、平行に3本。そしてその長さは両手剣もかくやというほどだ。戦士はそれを片手で楽々と持っている。

「誰だい、君は?」

 その姿に半ば目を奪われながら、テュエールが訊いた。

 黄金の戦士は、兜の面頬に手を当てる。すると素早く滑らかな動きで、面頬の目の部分が跳ね上がり、頬の部分が左右に開いた。

 中から切れ長の吊り目の、鼻筋の通った素顔が覗く。顔にかかった長い黒髪も見て取れた。

 それは、アルゴスにも劣らないほどの整った顔貌であった。強いて言うならアルゴスがより優雅であり、この戦士がより精悍だ。その表情は実直で、曇りない視線をテュエールにまっすぐ向けている。

 その横顔を頼もしそうに見てから、アルゴスがテュエールに紹介する。

「我が友だ」

 そして黄金の戦士は、静かに名乗りをあげた。

「『運命の戦士』、バートラム・サージアス・アイトス」


 旋風のごとく現れたバートラムに、アルゴスが声をかける。

「早かったな、バートラム」

 バートラムは相好を崩す。笑うと少し幼くも見えた。

「エドワード達のおかげです、アルゴス殿。ここまでの敵はすべて退けました。

じきにエドワードやイングリット達もここに着くはずです」

 そしてバートラムは、まずランスとエリシアに声をかけた。

「久しぶりだ、ランス、エリシア。またともに戦えることに感謝しているよ」

 続けて、初対面となるエブリット達にも話しかける。

「そして、アルゴス殿の友であり、ジョーの友である皆様。時が満ちるまでの少しの間、私もここで戦います。

各所の戦況のことがあって、長くは留まれないのが心苦しいのですが」

 クローディアが、アルゴスと出会った時以上に驚いた。

「フォルテンガイム王のバートラム陛下……主神オーゼスの作った『水晶の剣』と『黄金の防具』を所持する、『運命の戦士』の筆頭」

 彼女がバートラムを見つめる眼差しは、まさに神に対するものに相違なかった。

 思わず彼女は、彼に問いかけていた。

「そのような方が、なぜここに? なぜ私達のために?」

 バートラムは、こう前置きする。

「このようなこと、本人を前にしては言えませんが」

 そして、優しく諭すように続けた。

「これも、ジョーの偉大さと知ってください。私達がここに友として立っているのは、彼が引き合わせてくれたおかげです。

そして友である皆様に、さらに知っていただきたいことがあります」

 そして彼は長い剣を下段に構え、ゾースティに対峙した。

「友の力は己の力。今から私が振るう力は、皆様が友情という繋がりをもって手に入れた、皆様の力そのものだと知ってください。

ジョーが戻るまでの間、彼に代わって私が戦います。そしてこの戦いの結果を、自らの勝利として誇ってください」

 バートラムの不敵な発言に対して、テュエールが憎々しげに言い放つ。

「生意気だよ、人間。まさか、神に勝てるつもりでいるのかい?

確かに、君達『運命の戦士』は、この世界の神に勝ったことがあると聞いているよ。でもね、僕達はこの世界のすべての神より格上なんだ。

僕達に勝てる存在は、この世界にいないんだよ」

 彼の発言に後押しされて、ゾースティが怒りも露わに剣を構え直す。

「バートラムとやら、まずは貴様から殺す。

楽には死なせんぞ。苦痛にのたうち回らせて、その者どもにも心の底からの恐怖を植え付けてやる」

 そしてゾースティは、悪意に満ちた眼差しをバートラムに向けながら、彼の懐に飛び込んだ。

 回避不能の踏み込みだ。

 不意打ちであるうえ、これほどの速さで距離を詰められれば、後はゾースティの思うがまま。

 の、はずだったのだが。

 しばらくそのままゾースティは硬直し、そして徐々に苦悶の顔へと変わっていく。

「な、なんだと」

「奢りは隙を生む」

 ゾースティに倍する速さで、バートラムが「水晶の剣」を振るっていた。

 しかも、何という切れ味か。そのただの一振りで、ゾースティの体は軽々と両断されていた。

「学ぶのだ、神よ。至高だという奢りを捨てることから、新たな一歩が始まる」

 そのまま、血が散る間すら与えず、さらに三度斬り込む。

 瞬く間もないその一連の攻撃で、既に勝敗は明確なものとなった。

 ゾースティが地に崩れ、苦痛に顔を歪めながら叫ぶ。

「おのれ、矮小なる人間! 貴様は愚かなり!

神にいくら傷を負わせようとも、神の本質に人間は干渉できぬのだ!

『光の戦士』になって、神に『時障壁』を張らない限りはな。神を滅ぼすことなど不可能なのだ!」

 『光の戦士』という言葉を聞いて、クローディアは思い出した。

 一人の『光の戦士』がいることを、彼女は知っている。しかし、その戦士はここにはいない。気配を探ってもどこにも見つからない。きっと今も、ハイ・ダリスの山中で自らを封じたままだ。

 バートラムの戦いぶりはまさに驚異であったが、どれだけ優勢になろうともやはり決め手を欠いているのだ。

 しかし、バートラムは黙って首を横に振って屈託なく笑った。

 するとそれに呼応するかのように、彼らの頭上から低い声が響いた。

「それでは、余がこの者を滅ぼそう」

 そしてゾースティの上に、黒い鈎爪の生えた翼を持った男が降ってきた。

 鋭く赤い目をした、長身で銀髪の男だった。彼は、すぐさま白く光る拳をゾースティに叩き込んだ。

 するとゾースティは、拳から弾けた白い光に包まれ、その中でみるみる形を崩していった。

「時の牢獄の中で、猛省するがよかろう」

 静かにそう言う男を見たゾースティの目が、驚きによって大きく見開かれた。

「き、貴様、何者……いや、もしや」

 それがゾースティの最期の言葉になった。

 ゾースティが欠片一つ残さず消し飛んだことを確かめると、鍵爪の翼の男はゆっくり立ち上がり、名乗った。

「『悪』の力神、フォルト・ダルシンド」