第8回
光風暦471年6月30日:それぞれの思い
『世界を司る、リベの六大神の役割は何かだって? すべての世界の統括だろう? すなわちそれこそが最上位の存在だ』
合体の秘術「Merge」の習得は、容易なものではなかった。
エブリットはハイ・ダリスの城に籠もりきりで、アルゴスの指導を受けながら、何日も学習を続けていた。
その間、ランス達に手伝えることはなく、皆が思い思いに時を過ごしながら習得の時を待っていた。
いつテュエールが侵攻を始めるかという恐怖があったため、その時間の大半は戦闘能力向上のための修練に費やされていた。「Merge」での合体対象に選ばれたときに、少しでも仲間の足を引っ張りたくないという気持ちもあって、皆が真剣であった。そうしてフォーラはもっぱら魔法の学習に、残った者は武術の鍛錬に、それぞれいそしんでいた。
「よし、ひとまずここまでだ。次の模擬戦闘まで、少し休憩しよう」
「雷光の騎士」の鎧をまとったランスが、ダンとナイに告げた。ランスはともかく、ダンとナイは滝のような汗をかいている。
「さすがです、雷光の騎士殿」
息も切れ切れに、ナイが言った。
「おかげでだいぶ鍛えられたぞ、ランス。しかしこの実力差を、どうやって埋めたものか」
額の汗をぬぐいながら、ダンが言う。疲れからか、このように弱気な言葉も出てくる。
「いつまでたっても、俺はみんなの足手まといにしかならないんじゃないか、そんな気がして恐ろしいのだ」
ランスは即座にこれを否定し、ダンを励ました。
「同じ気持ちを持ってともに戦う仲間なんだ。足手まといになんてならないよ。
『運命の戦士達(フェイタル・ウォーリアーズ)』は、もともといろんなレベルの戦士が集まっている。
それぞれができることをやることで、今までたくさんの敵と戦って、そして勝ててきたんだ。
大切なのは今の時点の実力じゃなくて、向上心だよ」
そして自分の手を見ながら、こう付け加えた。
「それに、ダンやナイに簡単に実力差を埋められたら、僕が怠慢だってことにもなる。
僕も、もっともっと強くなるつもりだからね。負けちゃいないよ」
そして二人を見つめ直して、さらに言った。
「鍛錬は厳しいけど、くじけないで行こう。その先にはきっと、仲間と迎える勝利がある」
その頃別の場所で、エリシアとディクセン、ユーノも戦闘訓練を行っていた。
「ははは。天使と模擬戦とは新鮮だぜ。天使と悪魔なんだから、本来なら本気の殺し合いになってるはずなのにな」
こちらは、各自の実力にさほどの差はなかった。ディクセンの言うように、もし本気で殺し合いをしていたら、泥沼の戦いになっていたかもしれない。
「何が言いたいのです、ディクセン?」
笑いながら物騒なことを言うディクセンの意図を測りかねて、エリシアが問う。
「いや、他意はないんだ。なんて言うか、わくわくするんだよ。以前の俺には絶対にできなかった体験が、こうしてできている。
お前との訓練だけじゃない。このところ毎日、新しい体験ばかりなんだよ」
これには、ユーノが照れくさそうに同意した。
「まったく、ジョーの奴に出くわしてから、調子が狂いっぱなしなのよね。誇り高い悪魔のプライドが、もうすっかりズタズタよ。
でも、今の自分に誇りがないかっていうと、そんなことはないって思える。
考えてみたら、昔よりずっと大きなことをやろうとしてるんだものね。
以前は天使や人間と馴れ合うなんて恥だと思ってたけど、そう思っていた過去の自分のほうが恥ずかしいのかもしれない」
エリシアはその言葉を聞いて、はっと目を見開く。
「ははは、成長したなユーノよ!」
「うるさい、あんたが言うな」
漫才を繰り広げる悪魔達に、エリシアはそっと胸中を打ち明けた。
「私も、以前の自分を恥じています」
穏やかだが誇り高そうな天使が、自省の言葉を述べた。そのことに驚いて、悪魔達はエリシアに見入った。
「神のもとにあって、私は神の命じるままに行動してきました。それこそが正しいことと信じて。
実際に、正しい行いはしてきたと思うのです。でも、それは私自身で考えてのことではなかった。神から授かったすべてを貫く槍を用いて戦うだけの、単なる装置のような存在だったのです、私は」
恥ずかしそうに、エリシアは続けた。
「こうして神のもとを発って、ジョー様と再会してからの時間のなかで、私は初めて、自分の意志で世界のすべてのために働きたいと感じました。
神や大恩あるジョー様達だけのためではなく、とても多くの存在のために。もちろん、あなた達のためにも」
「よせやい、照れくさいっての」
「そうそう、悪魔には、もっと毅然とした態度で臨んでもらわないとね」
照れて慌てる悪魔達を見て、エリシアははにかんだ。そしてはっきりと言った。
「私は、あなた達のことを愛しています」
それもまた、自分の意志で紡ぎ出した言葉にほかならなかった。
「あまり無理をし過ぎても、効率は上がらないぞ。少し休んではどうか」
温かな紅茶を持って、アルゴスがエブリットのもとを訪れていた。
エブリットは必死で学習に打ち込んでいて、その顔には疲労が色濃く出ていた。途中から手伝いも兼ねて合流しているフォーラも、部屋の隅から心配そうに彼を見ている。
「お心遣いありがとうございます。国王陛下にお茶をお運びいただけるとは、恐悦至極に存じます」
エブリットは力なく立ち上がると、丁重に頭を下げた。目眩がして倒れそうになるが、なんとか持ちこたえる。
「こうして没頭ししていると、安心できるのです。その間だけ、あの強大な敵のことを忘れられますので」
「そうか」
エブリットは自嘲の笑みを浮かべる。
「情けないことです。私はテュエールを倒したいと思っているのに、心のどこかでそれから逃避しようとしているのです」
アルゴスはその言葉に理解を示し、深くうなずいた。
「無理もなかろう。戦いに恐怖を感じないほうが異常というものだ。ましてや超絶的な力をそなえた神が相手とあっては、なおさらのこと」
アルゴスの気遣いに感謝しながら、エブリットは尋ねた。
「陛下。陛下は、私達がテュエールに勝てると思われますか?」
アルゴスはしばらく考え、はっきりと言った。
「結論から述べると、勝てると信じている」
これにフォーラが深くうなずき、少し離れた部屋の片隅から二人に近寄りながら言葉を発した。
「私もそう信じています」
そして彼は、自分に言い聞かせるように言葉を紡ぎ始めた。
「テュエール神の勢力については、私は間違いなく誰よりも存じています。それは絶望的なまでの力と申し上げるほかありません」
そこで彼は我に返って、両手を振りながら慌てて取り繕った。
「申し訳ありません。意気をくじくような発言になってしまって」
「いや、続きがあるのだろう。最後まで聞かせていただきたい」
アルゴスが右手を挙げて詫びを制し、フォーラのぶんの紅茶を勧めた上で、優しく続きを促した。フォーラは一礼して、紅茶を一口のどに通してから、息を整えて先を続けた。
「ですがそれもまた、私が一方の様相しか存じ上げない中での知識からです。私はこの世界のことを知らなさすぎました。
ジョー様に敗れて以来の日々は、私にとって驚きの連続です。もちろん、今こうして魔術の習得に向けて過ごしていることも。
そもそも私が敗れたことも、当時の私にはまったく思いもよらないことでした」
エブリットが深くうなずく。
「私もです。周りが見えていないゆえに身勝手で邪悪な行いに走って、そして敗れて初めて見えたものがあります。
とてもたくさんのことが見えていないのだと、恥ずかしながら心の底から思い知りました」
その言葉に応じたのはアルゴスだった。
「恥じる必要はない。それは成長にほかならないのだから」
そしてエブリットとフォーラを交互に見つめながら、こう加えた。
「恥ならば私のほうが大きかろう。私はかつて、異世界神に操られた神の思うがままに悪事をはたらいた。
その贖罪には一生をかけねばならぬが、そうした過去があるからこそ見えることもある。役に立てることもある。
同様に貴公達の経験も、私達にとって貴重な知見となるのだ」
今の勢力にかつては仇をなしたという点で、三人の立場には共通するものがあったのだ。それゆえにエブリットとフォーラには、それを堂々と告げた美しい賢王の言葉が、何より心にしみた。
そしてこうした前置きのやり取りを経て、アルゴスは先に述べた結論へ回帰した。
「こうして立場の異なる我々の知恵や思いを結集して、そして研鑽を続ければ、『私達は』必ずテュエールに勝てるであろう。私はそう信じている」
「私達は」の部分が妙に強調されたことに対して、エブリットは不思議そうな顔をする。
するとアルゴスは、まるで悪戯をした子供のように微笑んだ。
「この戦い、貴公達だけに頼っているわけではないということだ」
「どういうことですか、それは?」
アルゴスは部屋の窓を開け放ち、外の景色を見渡しながら答えた。吹き込む夜風に、髪が幻想的になびく。
「世界を守ることを務めとする『運命の戦士達(フェイタル・ウォーリアーズ)』は、レグナサウトの危機に気付かなかったわけでも、座して貴公達の戦いに頼り切っていたわけでもないのだ。
貴公達と同様に、私達全員が以前より活動してきている。勝利して世界を守るために。この世界に新たな悲しみをもたらさないために。
やがてその全貌を知る時も来るだろう。今はその事実を心の支えにして、戦い続けてほしい」
そして彼は、優しく、しかし決然と告げた。
「この戦いは、貴公達だけのものではない。ともに戦っていこうぞ、友よ」