第6回
光風暦458年11月22日:少年の夢
『何を言っているんだい? 君の言うことは理解できない。僕の常識から言わせてもらうと、矛盾だらけだよ』
クローディアは、窓際に腰かけて城下町を眺めながら、腕を組んで物思いにふけっていた。
これまでの様々なことを思い出し、今の境遇を思い、ため息をついた。
自分はこのままでいいのだろうか。いや、いいはずがない。
逃げ出してきたものの、いつかはテュエールのところに戻らなければならない。さもなくばテュエールが自分を探しに来て、そしてこの世界に大変な被害をもたらすだろうから。
しかし、そのことが分かっていてなお、元の世界に戻る気になれなかった。
それほどに、囚われの身になることが辛かったのだ。いや、囚われの身になることではなく、テュエールの手先となって世界に災厄をもたらすことが辛かったのだ。
自分はどうすればいいのだろう。
思い悩んで、もう一度ため息が出る。
その時、彼女のいる部屋の扉が叩かれた。聞き逃したかもしれないほど、とても控えめな音だった。
「どなたか?」
扉越しに少年の声が聞こえてきた。
「ジョーだけど、お話がしたくて。駄目かな?」
その声から、彼の遠慮ぶりが伝わってくる。青年のジョーからは想像もできない素振りだ。
それを不思議に、そして少し可愛く思いながら、クローディアは答えた。
「いや、まったく差し支えない。いま扉を開けるゆえ、少々お待ちを」
扉を開けると、上目遣いのジョーが立っていた。年齢のためもあって、彼の背はクローディアよりずっと低い。これもまた、クローディアに不思議な印象を与えた。
「ありがとう、クローディアさん。
よかったら、ついて来てくれないかな。夜風が気持ちよくて、眺めがいいところがあるんだ」
「うむ。私のことは呼び捨てで構わぬぞ」
拒否する理由もなく、クローディアはジョーの案内を受けて、城の外廊にたどり着いた。
澄んだ夜空の下、そこには月明かりを遮る物もなく、ジョーの顔がほのかに照らし出されていた。その顔立ちは華奢で、そして昼間より大人びて見えた。
クローディアは、どこかでこんな光景に遭ったことがあると思ったが、それがどこだったかを思い出す前に、ジョーに問われた。
「クローディアは、アリミアから来たって言ってたよね。遠いところから来たんだね」
無邪気な問いを受けて、クローディアの胸が詰まった。
「うむ。とても、とても長い旅だった」
時を越えて来たという真実を語ることもできず、彼女にはそれだけを答えるのがやっとだった。そして密かに、良心の呵責を感じていた。
ジョーはその様子に気付き、不思議そうな顔をする。しかし、それに関する質問は慎み、代わりにこう言った。
「クローディアは強いんだね。一人でそんなに長い旅ができるなんて。憧れるな」
彼は笑顔を覗かせているが、そこにはどこか陰があった。
「いや、私は強くなどない。現に今も、己の弱さを恥じ続けているのだ。
そなたの姿を見たときも、私は」
思わず口が滑りそうになり、そこで口をつぐんだ。未来の出来事を話すわけにはいかない。
「それって、どういうこと?」
「いや、話せば長くなるゆえご容赦願いたい。話を元に戻そう。ジョー、そなたは強さに憧れているのか?」
ジョーは、それ以上の追及はせず、素直にうなずいて答えた。
「うん。僕の周りは強い人がいっぱいで、僕を大事にしてくれるし、守ってくれる。
でも、僕にはみんなを守れるだけの力がない。見てのとおりの、ひ弱な王子なんだ」
彼の一人称が「僕」であることもに驚きながら、クローディアは尋ねた。
「ジョーの周りの人? 『運命の戦士』である父君のことか?」
「うん。父もそうだし、母だって強いんだ。それに僕を守ってくれる騎士達や、幼なじみのランスまで、みんなすごく強いんだよ」
クローディアはさらに驚いた。
「ランス? 彼はそれほど強いのか?」
「ランスのことも知ってるんだね、クローディアは。
ランスはとても強いよ。強いくせに威張ったりもしないし、こんな弱い僕にも温かく接してくれる。
ランスみたいな奴のことを、本当に強い奴って言うのかなって思うよ」
クローディアは、微笑みながらうなずいた。
「そうなのであろうな、きっと。強さには様々な形があろうが、ランスの持つ強さもまた、真なる強さなのであろう」
ジョーはそれを聞いて、我が事のように喜んだ。
「(てっきり、昔からジョーがランスを従え続けていたのだと思っていたが、昔は逆だったのだな)」
クローディアがそのように微笑ましく思っていると、ジョーが言った。
「うん。僕も、ランスみたいに強くなってみたいと思うんだ。
でも、ランスと同じようには強くなれないかもしれない。
クローディアの言うように、強さにはいろんな形があると、僕も思う。
そうしたなかで、僕なりの強さを見つけてみたい。いつか、本当の強さとは何かをちゃんと理解して、そしてそれを身につけてみたいんだ」
弱々しく、控えめな口調で語る少年のジョーであったが、その目には、確かに強さの片鱗が宿っているように見えた。
「うむ。そなたならきっと、強くなれる。私が保証しよう」
秘めた強さをおくびにも出さなかった青年のジョーが思い出され、クローディアは涙しそうになった。
彼は間違いなく、彼女にとって最強の存在であった。戦う強さだけでなく、心の強さも併せ持った、愛する最強の戦士であった。
ジョーは、クローディアの言葉を聞いて照れ臭そうにもじもじしていたが、やがてぽつりと言った。
「クローディアにだけ、内緒の話を教えてあげる。
僕には、憧れている戦士がいるんだ」
「憧れている戦士? 父君ではなく?」
「うん。父ももちろんだけど、他にもね。信じるか信じないかはクローディアの自由だけど」
そう前置きしてから、ジョーは言った。
「クローディアも、話は聞いたことがあると思う。伝説の『光の戦士』について。
僕は、その『光の戦士』に会ったんだ」