第5回
光風暦458年11月22日:勇者の昔日
『まったく。そこまで言うなら、一つ質問だ。どうして君が僕より、そのことについて詳しく知っているんだい?』
クローディアが思いがけず目にした、懐かしさをすら覚えるジョーの顔。
その顔は過去のものだけあって、少年らしさが色濃いが、それでもクローディアにとっては見間違えようはずもない。様々な感情が彼女の中で渦を巻き、どうしていいかすらも判断がつかなかった。
そして彼女は、無言でふらふらと歩き出した。ジョーのほうへ、両手を差し出しながら。
「ちょっと、旅の方! いったいどうしたんです?」
それまで話していた少女が、ただならぬ様子に慌てるが、その言葉もクローディアの耳には届いていない。
目と口を見開き、ゆっくりと歩いていく彼女の様子は、傍目にも異様に映った。
やがてジョーもクローディアに気付き、立ち止まってその様子を見る。
周囲がざわめくなか、クローディアはジョーの前まで来ると、そのまま膝をつき、突然泣き崩れた。
「ジョー、ジョー」
彼女の口から、嗚咽とともに、もう会えないと思っていた想い人の名が漏れる。
「い、いったいどうしたんだい? あなたはいったい……」
高くて初々しい少年の声が、クローディアの頭上から聞こえてくる。
「すまない、ジョー。私は、私は……」
クローディアは、うわごとのようにそう繰り返すのみだった。
彼女を見下ろしながら、困り果てた様子のジョーは、どうすればいいのか分からず周囲を見回した。
しかし群衆も、一様に困った顔を見せるばかりで、助言はない。無理もないことだが。
すると、ジョーの背後から女性の声が響いた。
「どうしたの、ジョー? その方は?」
「母上!」
ほっとした様子のジョーが、声の主である長い金髪の女性に振り向く。
その女性、すなわちジョーの母は、クローディアがジョーの名を呼び続けながら泣いているのに気付くと、少し考えてから言った。
「ジョー、この方を城にお連れしなさい。時間を置けば、いったい何があったのかも分かるはずよ」
王子の名を呼んで泣いていたからとはいえ、見ず知らずの者を城に招いてもてなすジョーの母。その胆力は特筆に値するが、ともあれ彼女の予想どおり、それから数時間が経った夕刻には、クローディアも少し落ち着きを取り戻していた。
その間ずっとクローディアに付き合っていたジョーの母は、クローディアの肩にそっと手を置き、言った。
「まずは何か食べるとしましょう。お腹が満ちれば、元気も出てくるわよ」
そしてクローディアは城の小さな食堂に通され、そこで暖かい料理を振る舞われた。配慮があってか、料理は豪華すぎないように作られていて、旅の経験が長いクローディアにとって親しみやすいものだった。
「見ず知らずの私にこのようなご配慮、心より感謝申しあげる」
いつもの口調に戻ったクローディアは、多分に恐縮しながら謝礼を述べた。
「気にしないで。困ったときはお互いに助ける、これがここの流儀なの」
ジョーの母は、竹を割ったような、さばさばした性格の主だった。王子であるジョーの母親、すなわちその立場は王妃なのだが、装飾品も化粧も控えめだ。背筋もぴんと伸びていて、見るからに快活そうだ。そして、青い目が人懐こそうに輝いている。素敵な人だと、クローディアは思った。
「まずは挨拶をいたさねばな。私はウィルバー・ドルトン。このゼプタンツの王を務めている。こちらが王妃のレア。そしてそちらが、王子のセイリーズだ」
「王妃のレア・ドルトンです。よろしくね」
改めて名乗る王族達。そしてジョーが続き、最後にクローディアが開口した。
「セイリーズ・ジョージフ・ドルトンだよ。お姉さん、ちょっとは元気になった?」
「う、うむ。かたじけない。私はクローディア・グランサム。アリミアよりまいった」
挨拶の言葉を述べてから、クローディアは少年のジョーを改めて見た。そして驚いた。ずいぶんと華奢な印象なのだ。一緒に旅をしたジョーの豪放さは、その片鱗すらも感じられなかった。細身で背も低く、話し方もおどおどしていて、顔の造作以外はまるで別人だった。
あのジョーにこのような過去があったのか。クローディアはひとしきり目を丸くして、王子を見つめていたのだった。
やがて暖かい食事と温かい王族のおかげで、クローディアの心も少しずつ解きほぐされ、しだいに口数も増えていった。
その頃合いを見計らったのだろう、ウィルバーがやんわりと本題を切り出した。
「改めて尋ねたい、クローディア殿。あなたはセイリーズの姿を見て、その名を呼びながら泣き崩れたと聞いた。
その理由はいかなるものなのか?」
クローディアは答えに迷った。
どこまで本当のことを話せばいいのか。
未来から来たことを話すべきか。異世界神との戦いのことを話すべきか。
クローディアは、眼前にいるウィルバー王が「運命の戦士」の一人だと知っていた。話せば何か力になってくれるかもしれない。
そう思ったが、結局は思いとどまった。
話すことで、この時代の人々にも累が及ぶような気がしたのだ。
それで、言葉を選んでこう答えることにした。
「実は以前、旅をしている時に王子に会ったことがある。殿下は覚えておいでではないだろうが。
その時の記憶が懐かしく思い出され、感極まって泣いてしまったのだ。
大変な粗相、平にご容赦願いたい」
一応、嘘はなかった。
ウィルバーは深くうなずき、それ以上追求することはなかった。
その後は王族から楽しい話を持ち出され、時にクローディアが笑顔を浮かべるようにまでなりながら、時が過ぎていった。
そしてその夜クローディアは、城の一室に泊めてもらえることとなった。
改めて心遣いに感謝の言葉を述べ、クローディアはあてがわれた部屋に収まった。