第13回
光風暦471年6月11日:急襲
一同の前に突如として降臨した、異世界神テュエール。彼は、固唾をのんで立つ一同に視線を泳がせ、やがてひとところで目を止めた。そして少年そのものの高い声で言った。
「君を連れて行くよ、『虚無』を司る神の再生産体、スルティエ・エリシア」
天使であるはずのエリシアが神? そして再生産体とは? そう思ったランスやエブリットは、驚きつつエリシアを見て、そしてテュエールを見た。しかしそのテュエールの視線は、なぜかクローディアに向けられていたのだ。
「クローディアがエリシア? いったい、どういうことなんだい」
ランスは問いかけるが、それに答えを返す者はいなかった。答えを返す意思、あるいは答えを返す余裕、どの者にもそのいずれかがなかったのだ。
クローディアが必死に答える。
「断る! 私はもう、そなた達の勢力には与しない!」
すると、さも不思議そうな顔をしながら、テュエールがあどけなく言った。
「いくら人間に造られた神だと言っても、神の世のことわりは分かっているんじゃないの? 上位神に対して反抗する力も権利もないことぐらい」
クローディアはうなだれる。
「確かに、私ではそなたに対して手傷すら負わせられぬ。しかし……」
そして彼女はかぶりを振り、再び気丈に叫んだ。
「私は、私を造ったそなた達の勢力の言いなりになって戦いたくない。愛する人々を傷つけ、この世を滅ぼすような行いは望まぬ!」
それを聞いたテュエールは、唇を尖らせて不服の色を露わにする。しかし彼が何かを言うより早く、ジョーが前に進み出てクローディアをかばった。
「よく言った、クローディア」
これまでただの腑抜けとしか映っていなかったジョーの後ろ姿が、この時はとても大きく、そして立派に見えた。
強大な異世界神を前にしても、まったく怖じ気づくことのないジョー。それを見て、テュエールはますます不快そうな顔をした。
「ずいぶん大きく出るようになったね、人間。僕に勝てないことは分かっているはずなのに」
ジョーは、ふんと鼻で笑った。
「やっぱり覚えていやがったか。でもよ、やれるだけのことは、きっちりやらせてもらうぜ」
不可解な発言である。しかし、テュエールには通じているらしい。こう返事がきた。
「どうぞ。言っておくけど、戦いの後に笑うのは僕だよ」
ジョーとテュエールは、初対面ではないらしい。その事実を読み取って、とりわけクローディアやエブリットは驚いた。しかし、ここでも詳しくを尋ねる時間はなかった。テュエールがいきなり戦いを始めたのだ。
実際のところ、テュエールがとった行動は、片手を上げて軽く振り下ろしただけである。しかし、そよ風すら起きぬはずのその所作は、壮絶な攻撃となって一同に襲いかかった。耳を聾する、雷鳴のような衝撃波が発せられ、周囲のあらゆる物を打ち砕いた。エブリット達は、その瞬きするほどの短い間に、かろうじて死がもたらされる恐怖を感じることができた。
完膚無きまでに砕け散る屋敷。ひび割れて崩れる地面。これが異世界神の力なのか。異世界神に刃向かって、もとより生き延びる術などないのか。エブリットは改めて絶望を味わい、神に刃向かうことの無意味さを痛感しつつ、すぐにも訪れる死を覚悟して目を閉じた。
しかし、彼に死の時は訪れなかった。いくら待てども、自らの状況に変化はない。なぜだか、あれだけの衝撃を受けていながら痛みすらもないことに気づくまでに、ずいぶんな時を要したようだった。
恐る恐る目を開けると、彼だけでなく仲間達も無事だった。そして彼らの前には、変わらずジョーが立ちはだかっていた。見れば彼は、涼しい顔をして片手を体の前に掲げている。あの攻撃をわずかに片手で受け流し、仲間を守ったのだ。これもまた、驚愕に値する事実であった。
「やるね」
テュエールが揶揄する。ジョーはそれを軽くあしらう。
「へっ、このぐらいは予想済みだっただろう?」
そして、今度は自らが反撃した。
彼は、テュエールがしたのと全く同じように片手を上げ、そして振り下ろした。
結果もまったく同じであった。瓦礫の山と化していた周囲はさらに粉砕され、完全に原形を失っていった。
そしてテュエールもまた、まったく傷を負っていなかった。しかしここに一つ、驚くべきことがあった。テュエールは、防御の動作を全くとっていなかったのだ。
「やっぱりね」
テュエールは涼しげに笑った。
「ああ、やっぱりな。『時空剣』の反動は健在ってわけか」
再び、よく分からない言葉が出てくる。この『時空剣』というものが、彼らの過去の因縁に関係しているのだろうか。
ここでジョーは、エブリットに告げた。
「次に会うまで、こいつを預けておく。存分に使ってくれ」
そして右手を掲げると、そこに突如として剣が現れた。エブリットもたびたびその姿を目にしてきた剣だった。ジョーはそれをエブリットに投げてよこした。
「この剣は、あの『知性ある武器(インテリジェント・ウェポン)』……それを呼び出した? あなたはいったい」
「そろそろ分かってきたんじゃないか? この剣が何か、そして俺が何者かも」
この剣は、主神オーゼスが作った究極の「聖なる武具」の一つ。そしてそれを呼び出せる者は、その正統所有者であり、神にも等しい「運命の戦士」の称号を持つ究極の戦士。それをうっすら悟ったエブリットに対し、ジョーは言った。
「エブリット、希望を捨てるな。最後に笑うのは俺達人間だ。それを忘れないでくれ」
そして再び始まったテュエールの攻撃を受け流しつつ、ジョーは今度はクローディアに告げた。
「クローディア、俺は何があっても約束を守る。多くを語る時間はないけど、それだけは覚えていてくれ、どんな時も」
そして、どういうことかと尋ねようとするクローディアを遮り、ジョーは叫んだ。
「それじゃみんな、逃げろ!」
エブリットとクローディアは、これに対して反論しようとする。しかしランスとエリシアが、それを引きとどめた。彼らはエブリットとクローディアの目を見つめて、そして彼らの手を引いて走り始めた。有無を言わさぬ力を込めて。
仲間を逃がし、一人残ったジョーを見て、テュエールは馬鹿にしたように笑う。
「時間でも稼ぐつもりなの? 僕に勝つ決め手も持ち合わせていないのに、仲間を守ろうとするなんて、健気なことだね」
ジョーは肩をすくめて、テュエールの言葉を素直に認めた。
「言っただろ、やれるだけのことはやるって。しばらく俺様に足止めされてろよ」
「嫌だね」
テュエールは一言吐き捨てると、前に軽く跳躍するそぶりを見せた。その刹那、テュエールの姿は消え去った。ジョーの相手をするのも馬鹿らしいとばかり、その場から立ち去ったのだ。人間にはおよそ視認できないほどの速さで。
しかし、テュエールの望みどおりにはいかなかった。その動きに追随したジョーが、真正面からテュエールの首元を掴んで捕らえたのだ。
「ダメージは与えられなくても、このくらいはできるんだぜ」
「生意気だよ、人間のくせに」
ジョーが手を離すと、テュエールは苦々しげに跳びすさり、戦いの構えをとる。そして二人の手合わせが始まった。
それからの戦いの時は、ずいぶんと長かった。その間、テュエールは一切の手傷を負うこともなく、かたやジョーは疲れの色も出さず、まったくの拮抗状態が続いていた。
「ずいぶん頑張るね。正直、驚いたよ」
涼しげに語るテュエール。
「へっ。でもよ、そろそろ『時空剣』の反動も切れてくれないかと期待したんだけど、甘かったようだな」
そう言うジョーは、さほど残念そうな様子にも見えない。最善を尽くしたので、吹っ切れているのだろうか。
「そろそろ諦めるかい? 僕に消される覚悟ができたなら、いつでもそうしてあげるよ」
ジョーは、このように答えた。
「そうだな。一回だけとっておきを試して、駄目ならそうしてもらうかな」
「とっておき?」
テュエールの顔に警戒の色が浮かぶ。
「おうよ。俺の腐れ縁の仲間、バートラムの野郎に教わった技だ。今の旅に出る前に身につけてきたんだけど、まさかこんな風に使うことになるとはな」
「バートラムか。聞いたことはあるよ。君達人間が最強の戦士と奉る『運命の戦士』の一人。フォルテンガイムという国の王だったね」
「そのとおり。そいつに教わった最強の攻撃技、試させてもらうぜ」
そしてジョーは、手刀を作って身をかがめ、息を整えていく。その手に自らの魔力がこもり、白く輝く光の刃と化す。
「最強の攻撃技だって? 所詮人間の編み出した技が、神に通じるとでも思うのかい?」
「通じない、とは断言しないんだな」
図星をさされたテュエールは、唐突に言葉を失う。
「『運命の戦士達(フェイタル・ウォーリアーズ)』と呼ばれる俺達が編み出した技の体系、霽月流(せいげつりゅう)。その最強の技。
自らの命と魔力を攻撃力に変えて、瞬く星の数ほどの攻撃を一瞬で打ち込む技。今こそ放とう」
テュエールの表情が、これまでになくこわばる。ジョーは静かに、そして流暢に、その技の名を声に紡ぎ出していく。
「霽月流、真奥(しんおく)」
一瞬の間。そして。不思議なほど澄み渡った眼差しが、テュエールに向けられた。
「霽月剣・最霽(せいげつけん・さいせい)」
ウェインの屋敷から脱出して半時間ほどが過ぎ、ランス、クローディア、エブリット、そしてエリシアは、脱出を手引きしたエドワードとともに林道に立って話していた。
彼らがここにたどり着くまでに、屋敷からは壮絶な爆音が繰り返し響いてきていた。そのどれをとっても、現地に居合わせれば命はなかったと確信できるほどの規模だった。とくに最後に響いた爆音は大きく、相当な距離を越えて爆風や熱波が届いてきた。おそらく、屋敷の周囲一帯は消し飛んだのではないかと思われた。しかしそれきり爆音は途絶え、静寂が戻ってから既に数分の時が経過していた。
「私達は逃げおおせることができたが、ジョーは無事だろうか」
激しい戦いの様子が伝わってきただけに、気が気でない様子のクローディア。心配に沈む彼女に、ランスがこう言った。
「ジョーが簡単に死ぬとは思えない。またきっとジョーに会える。僕はそう思っているよ」
「私もそう信じております。たとえどれほど強大な敵と相対しても、ジョー様ならばきっと。だからこそ、皆様の手を引いて逃げたのです」
と、エリシアもクローディアを励ました。
「この剣も、早く返してしまいたいところですしね。
しかし、まずは状況を整理しなければなりません。テュエールがあれほど規格外に強い敵だと分かった以上は、おのずと動きも慎重にならざるを得ませんが」
エブリットは言葉を濁した。あまりに辛辣な現実を前に、冷静な彼にも頭の整理ができていないのだ。
これに対して、エドワードがこのように切り出した。
「私から提案がございます。一度王城にお越しいただきたいのです」
王城は国の象徴であり、緊急時には国民の避難所としても機能するよう設計されている。しかし、おいそれと一般人が入れるものではない。それゆえ、とくにこのレグナサウト王国の国民であるエブリットは驚いた。
「首都の王城にですか? ありがたいことです。しかし」
「しかし?」
先を促すエドワード。
そしてそれに呼応した声は、こうだった。
「スルティエ・エリシアだけは渡していってもらうよ」
その場の全員が、しばらく状況を理解できなかった。
先を継いだのは、この場にいないはずの少年の声。一同に戦慄が走る。
何も気取られることなく、彼らの死角にテュエールがいた。もとからそこにいたかのように。
テュエールは、一同に戦いの構えをとらせる隙すら与えず、クローディアの腕を掴んで引き寄せた。
「この先にあるのは絶望。それを分からせてあげるね」
テュエールはそう言い残し、クローディアとともに忽然と消え去った。
そして後には、呆然と立ち尽くす四人だけが残された。