第10回
光風暦471年6月11日:壁を打ち砕く時
極度の緊張から解放されたエブリットが、恐る恐るジョーに訊く。
「本物なのですか、あなたは? 偽物ではないのですか?」
ジョーは相変わらず、人なつこい笑顔を浮かべている。
「騙してすまなかったな。
この屋敷に乗り込んだら、いきなり俺の偽物が襲って来やがってよ。だったらそいつを利用しない手はないと思って、偽物のふりをしてここに来たってわけだ。
そしたらあのウェインって野郎、見事に騙されてくれたもんだ。ここまでべらべら企みを話してくれるとは予想外だったぜ」
この言葉を聞いたウェインが、逆上したように語調を荒げて言った。
「悪ふざけはやめなさい。あなたが本物ならば、ここにたどり着けるはずがないのですから」
「へえ、何でだよ?」
からかうような口調で、ジョーが尋ねる。余裕をなくしたウェインが叫ぶ。
「差し向けた偽のジョーは、人間ごときでは及びもつかない力を持っているのです!」
その言葉に、ジョーは思わず前屈みになって笑い声を漏らす。
「あんなもんで『人間ごときでは及びもつかない力』かよ、人間なめやがって。
泣くまで殴って、お前さんの秘密を全部聞き出して来たってもんだ。これからは俺様の影武者として使ってやることにするぜ、はっはっは」
早口になったウェインが、さらに畳みかけるように告げる。
「仮にそれが本当だったしても、ジョーが生きてここに来られるはずなどありません。念には念を入れて、他にも我が手の者を100人送り込んだのですよ」
「みんな聞いたか、手の者だってよ。このウェインって奴、ハーリバーンの町じゃ好人物で通ってるらしいけど、とんだ野郎だぜ。
ちなみに100人全員、きっちり畳んできたぞ。そんでもって、これからは俺様のために働くように誓いを立てさせてきたぜ、はっはっは」
しかしウェインは、ここにジョーがいるという現実を、あくまで認めようとしない。
「それでも、ジョーが絶対にここに立てないわけがあるのです。ジョーを襲撃させたあの部屋は、魔法で扉を解錠しなければ、決して出られないのです。この広間の次に厳重に、丈夫に造ってありますからね」
この言葉を聞いて、エブリットやクローディアは動揺した。その理由については、続けざまにウェインが代弁してくれた。
「これまでの調査で、ジョーが格闘家だということは分かっているのです。格闘家のジョーには、あの部屋は脱出不能の監獄なのです」
確かにジョーが魔法を使うところなど、見たことがない。それどころか、武器すらも振るったことがないのだ。ウェインの言葉が、にわかに説得力を帯びる。そして、救いの神が現れたがごとき心境だったエブリットやクローディアの胸中に、再び不安が首をもたげてきた。
しかしこれも、ジョーは笑い飛ばして否定した。
「魔法がどうとか、知るかよそんなこと。あんな安普請、殴ったら壁抜けたぜ」
なんと非常識な答えであろうか。しかしそれがジョーらしくもあり、エブリットなどは思わず失笑してしまった。
「まったく、あなたらしいと言いますか。今の言葉で、あなたが本物だと確信できましたよ」
「ありがとよ、エブリット。今朝の別れ際に『何とかする』って言った以上は、へたばるわけにもいかねえしな」
そして二人は、初めて顔を見合わせて笑い合った。
かたやウェインは、まだ食い下がる。
「嘘です! あの壁は、私ですらも破壊できないような強度に仕立ててあるのですよ。それを人間ごときが!」
すると、ジョーが鼻で笑った。
「人間ごとき人間ごときって、うるせえよ。そんなに言うんなら、その澄んだふりした両の目で、よく見てろ」
何をするのかと思えば、広間の壁際にすたすたと歩いていき、腰もとに拳を構えた。そして、「ほわちゃあ!」という妙な掛け声とともに、ただ一度壁を殴りつけた。イルバランの武道大会の時を思い出させる、無茶苦茶な一撃だ。
するとどうだろう、いともたやすく壁の石組みが吹き飛び、そこに轟音とともに大穴が空いたのだ。先程このジョーが広間に入ってくる前に響いた轟音と、まったく同じ音だ。しかも、空いたのは単なる大穴ではない。ただの一撃で、その面の壁がほとんど崩れ落ちてしまったのだ。
当のジョー本人は、笑顔で振り向くと、「ほらな」と一言。無理をしている様子は毛頭ない。
これが、ジョーの真の実力なのか。エブリットなどは、その光景を見て茫然自失になっているが、彼に劣らず驚いたクローディアが、ようやく口を開いた。
「ジョー、本当にジョーなのか?」
「おう。迎えに来たぜ」
彼女がジョーに向けられたのは、何のわだかまりもない笑顔。その笑顔に、凍り付いていた感情が解け出し、再び彼女は涙を流す。
「ジョー、私に対して、怒っていないのか? 私はたびたび、許されざる行いをジョーに対して働いてしまったのに」
「ん? 怒ってないぞ?」
「私は、つまらぬ誤解でそなたのもとを去ったのに」
「あれは、俺にも問題があったんだろ。また会えたんだから、そこは後でゆっくり話せばいいと思うぞ」
「私は、ジョーを殺すほど殴ったのだぞ」
「いや、俺は殴られてないって」
何を言っても、結局ジョーの笑顔は変わらなかった。クローディアは、泣きそうになりながら彼に問う。
「なぜだ。なぜジョーは、このような私を許せるのだ。このような、最低の私を」
ジョーは、至って平静な声で、クローディアに尋ね返した。
「じゃあ訊くけどよ、クローディア。お前さん、歳はいくつだ」
「歳?」
意外な問いかけを受けて、答えに詰まるクローディア。
「お前さんの先輩にあたる、最初の『人造魔神』が誕生したのが6年前だと聞いている。するってえと、クローディアはまだ5歳がせいぜいじゃないのか?
神は時間軸を自由に移動できる存在だと聞いたことがあるから、誕生からの時間の経過が過ごした時の長さと同じとは限らないんだろうけど、そのあたりはどうだ?」
クローディアは、おずおずと首肯した。
「ジョーの言うとおりだ。私は5年前に『虚無』を司る5柱目の神として造られた。それから今までの5年間を過ごして、今に至っている」
ジョーはうなずくと、こう言った。
「その5年間で、お前さんを造り出したアウドナルス帝国から逃げ出して、アリミア王国で『西方の聖者』の異名を馳せるまでの実績を積んだことは、さすがだと思う。生中なことじゃなかっただろう。でも、たかが5年間なんだ。
いくら基本能力が優れている神だって、5年ですべてを学べるはずがない。現にお前さんは、今もものすごい勢いで成長している、俺達と一緒にな。
そんなお前さんがちょいと取り乱してコケたって、なんで俺が責めたりすると思うよ」
発言することも忘れてジョーの言葉に聞き入っているクローディアに、ジョーは明るい声で語りかけた。
「いろんな気負いがあるんだろうけどよ、『完璧でなければならない』みたいな考えは、捨てていいと思うぞ。
欠点も失敗もトラウマも全部ひっくるめて、自分を認めて、そして許してやろうぜ。
『こうでなければならない』自分像に縛られるな。もっともっと、ありのままの自分を出していこう。それが未来の飛躍につながるはずだ」
クローディアはうつむき、何度もその言葉を心の中で反芻した。そして彼女がジョーに向き直ったとき、とても柔らかな笑顔になっていた。短いが心のこもった言葉が、自然と口から流れ出た。
「ありがとう、ジョー」
それを聞いたジョーは、屈託のないとびきりの笑顔をクローディアに返し、そして告げた。
「さて、そろそろやっちまうか、クローディア。お前さんの力で勝利を掴め」