第3回
光風暦471年6月10日:激昂する麗人
クローディアはウェインに丁重に案内され、ハーリバーンの町に入った。
そして町外れの小さな宿へと連れられ、入口の戸をくぐった。
宿の主人が、ウェインに声をかける。
「これはこれはウェインさん、いつもお世話になってます」
ウェインは爽やかな笑顔を返し、こう切り出した。
「いえ、私のほうこそお世話になっております。ところでダニエルさん、お願いしたいことがあるのですが」
「はい、ウェインさんの頼みなら、何なりと」
どうやらウェインは、相当な善行を積んできた人物らしい。クローディアも、「西方の聖者」として名を馳せたアリミア王国では、同じような遇され方をしていた。それゆえに彼女はウェインに対して、昔を懐かしみつつほのかな安心感を抱いた。
「実は、この旅のお方を手当てしてさしあげたいのです。5分ばかり、お部屋をお借りできないでしょうか」
とのウェインの頼みは、もちろん快諾された。
「どうぞどうぞ。そのようなことでウェインさんのお役に立てますなら、私も嬉しいですよ」
宿の主人ダニエルの笑顔に、輝かんばかりの笑みで応じるウェインは、深く頭を下げると、再びクローディアの手を優しくとった。
「それではご足労願います、旅の方。できるだけ手早く、手当てさせていただきますので」
「う、うむ」
クローディアはいまだ混乱から抜けきれておらず、なされるがままに部屋へと導かれていった。
取り残されたジョーやランス、そして来訪者の天使エリシアは、やはりクローディアと同じくハーリバーンの町に入った。ジョーはさほどでもないが、ランスとエリシアの消沈ぶりが目に付く。クローディアが行方をくらましたことを、自責めいた気持ち混じりに気にしているようだ。
「あの、ジョー様」
「ん、どうしたエリシア?」
元気のないエリシアは、不安そうにジョーに尋ねる。
「私は、町に入らないほうがよろしいのではないかと。この翼は目立ちますので」
ジョーは、首を横に振って笑った。エリシアやランスと対照的に、意外と元気だ。いや、元気というよりはむしろ、動じた様子がないと表現したほうが正しい。
「いや、別に目立って困ることもないから、一緒に来てくれよ。せっかく会えたんだし、飯でもおごりたいしな」
天使に「飯をおごる」と言い出す人間というのも、珍しいものではある。
「それに、俺の図体自体で目立つんだからさ。細かいことは気にしないでいこうぜ」
2メートルを超す上背のジョーが言うことだけに、説得力はある。少しだけ、エリシアに笑顔が戻った。
「まずは宿を見つけて食事だね。後のことは、それから考えよう」
ランスも、エリシアの様子に救われた思いがしたらしい。そう言うと、うっすら笑顔を浮かべた。
そして三人は、町の中心近くで目に付いた大きな宿に入った。
クローディアが来てはいないかと期待を込めながら、宿の1階に広がる食堂を見渡してみるものの、その姿は見当たらない。しかし、三人の視線はひとところで止まった。一人だけ先客がいたからだ。
その先客は、ジョー達の姿を認めると優雅な動作で立ち上がり、背筋を伸ばして歩いてきた。ジョーやランスにとっては見知った顔、金髪の美青年エブリットだった。
「ごきげんよう、救世者殿。そして大男。おや、そちらの方は」
いつもどおり慇懃無礼に挨拶してくるエブリットに、エリシアは気分を害し、鋭い視線を向ける。
「エンジェルのエリシアと申します。ジョー様に向かっての無礼な口の利き方は、看過できません」
怒りの理由はジョーのことらしい。そのことに対して、エブリットは目を丸くして驚いた。
「なんと、この男に『様』付けをされるとは。しかし、クローディアさんの姿が見えませんね」
これには、ジョーがあっさり答えた。
「クローディアは、少し前にどっか行っちまったぞ。突然怒り出してな」
「な……」
エブリットが血色を失うのを、ランスは初めて見た。もちろんジョーもだが。
そしてエブリットの表情は、次第に激しい怒りを帯びていった。
「なんということをしたのですか、あなたは!」
胸倉を掴みかからんばかりの勢いで、エブリットはジョーに食ってかかる。
「いや、そう言われてもよ。俺、何もしてないし」
いつもの調子のジョーに、エブリットはますます怒る。
「自覚があるかないかの問題ではないのです。クローディアさんを一人にすることが、どういうことにつながるか。あなたは分かっているのですか!」
まったく調子を変えずに、ジョーは即答する。
「お前さんみたいなのが、クローディアの力を手に入れようと狙うって言いたいのか?」
「そ……そうですよ」
痛烈な切り返しに、エブリットはどもる。
「だったらチャンスじゃないのか? お前さん自身にしても、望みを叶える絶好の機会だぞ」
エブリットは、耳を真っ赤にしてかぶりを振る。
「そ、そういう問題ではないのです! そもそも私は、そうして隙をつくような真似は嫌いなのです。もっと大胆な手で、クローディアさんの力を手に入れてみせるのです!」
そうして言い合う二人を見ながら、エリシアがランスにささやく。
「お二人は、仲がよろしいのですね」
「やっぱりそう見える? 僕もそう思うよ」
そんな会話は耳に入っていないようで、ジョーはこう言った。
「つまり、こそこそクローディアの力を狙っている奴がたくさんいて、そいつらが嬉しそうに出張ってくるぞ、と言いたいんだな」
「そ、そのとおりです! クローディアさんがそのような輩の手に落ちたら、どうするのですか!」
必死に訴えかけるエブリットに、ジョーは涼しい顔で応じる。
「大丈夫、心配すんなって」
呑気過ぎるように聞こえるその言葉は、エブリットの神経をいっそう逆撫でした。
「もういいです、あなたには期待しません! 今から私がクローディアさんを探しに行って来ます!」
そう言うが早いか、彼は肩を怒らせながら宿を飛び出して行ってしまった。
後には、何も言うことができずにいるランスやエリシアと、黙って肩をすくめるジョーが残された。
エリシアがジョーに恐る恐る尋ねる。
「ジョー様、これでよろしいのですか? いささか、あの方が気の毒にも思えますが」
「仕方ないさ。とりあえず、本人が納得いくようにさせるしかないしな」
改めて見ると、ジョーは冷静ではあるが、にやけた顔をしているわけでもない。ジョーも真剣なのだと分かり、エリシアはほっとする。
「仰せのとおりですね。ですがジョー様、私も一度、クローディア様を探してまいります。こうなったことに責任を感じておりますので」
うなずくジョーの顔は、とても優しかった。
「ああ、そうするといい。気をつけて行って来るんだぜ」
「ありがとうございます、ジョー様」
エリシアは深く一礼した。そしてジョーは、こう付け足してエリシアを送り出した。
「帰ったら、食事しながら話し合ってみよう。エブリットも一緒にな。まずは、なぜお前さんが訪ねて来たのかについて。そしてみんなで腹を割って、俺達が置かれている状況を整理しよう」
「さあ、終わりました。これで傷の治りも早くなると思います」
クローディアの手当ては、驚くほどの手際よさで行われた。若干の医術の心得があるクローディアだったが、ウェインの腕の良さには舌を巻くばかりだった。
「う、うむ。かたじけない」
「当然のことをしたまでですよ、綺麗な旅の方」
歯の浮くような台詞も、屈託のない彼の笑顔のもとでは、不思議と違和感を抱かせない。どう答えたものかと考えるクローディアに優しい眼差しを送りながら、ウェインは言った。
「もしよろしければ、なのですが。今夜は一緒に食事などいかがでしょう? おいしいお店にご案内しますよ」