第11回
光風暦471年6月3日:狂気の交錯
何が起きたのか、その場の誰も、即座に理解できなかった。
不意討ちを受けたソーンはもちろん、ランスもクローディアも、そして当事者であるユリですらも。
「まさか、このような時に発現するとは」
ソーンは腹を貫かれたまま、苦痛に顔をしかめながら、背後に目をやる。
するとそこには、恐怖や驚きでいっぱいに目を見開いたユリの姿があった。
「私、なぜこんなことを。体が勝手に」
ソーンの血しぶきが彼女の顔を染めていく。それが、彼に致命傷を負わせた事実を彼女に実感させ、彼女の目に涙が浮かんできた。
「分からない。どうしてソーン先生を、こんなことに」
そして彼女は、声を限りに叫んだ。
「嫌あああああっ!」
しかし、彼女の体は、まったく彼女の意思を受け入れようとしない。ものすごい勢いで腕をソーンから引き抜くと、さらに彼へと攻撃を加える。不意討ちに加えて、激しい苦痛に襲われているソーンは、防御もかなわず全ての攻撃をその身に受けた。
ユリの一撃はあまりにも強力かつ正確で、高い防御力を持った防具の隙間を的確に狙っている。一撃ごとに、ソーンの腕や足の骨が砕ける、鈍い音がする。
そしてソーンは、あまりの苦痛に再び悲鳴をあげつつ床へ崩れた。
「なぜだ。魔物の思考が体を支配しているのに、ユリとしての意思がなぜ同時に」
ソーンは、苦痛と同時に、悔しさや悲しさの混じった声でうめいた。
「これでは、あまりに残酷だ。こんなはずではなかった。
ユリは、何も知らずに居続けられるはずだった」
ユリは自らに対してまったく抑えがきかず、ソーンにとどめを刺そうと構えている。
そして、体の制御がきかないまま理性を残した彼女は、今にも発狂しそうになりながら、虚ろな声で言った。
「この町に現れていた魔物、私だったんですね。
夜ごとに現れて、町を破壊していた悪い魔物は、私だったんですね」
血に染まった彼女の頬を、涙が伝った。
そんな彼女に、肯定の言葉が投げかけられた。
「そうだ」
それは、ソーンの言葉ではなかった。
ソーンの傍らに、突如として声の主が現れたのだ。
黒い長衣をまとい、風除けを目深にかぶった男が、何もない空間からにじみ出るように現れたのだ。
男はきっぱりと告げた。
「病に倒れたお前を蘇らせるため、この医師は手段を選ばなかった。
蘇らせるための手段を、やみくもに探し求めた。なんという深い愛情であろうか。
その気持ちに心を打たれて、私が力を貸したのだよ」
何者とユリ達が問う前に、ソーンが男の名を口にした。
「トワイライト。貴様、たばかったな。
いつか必ずユリは、安定した完全な生命を取り戻すと言っていたはずだ」
トワイライトと言われた男は、したり顔で応じた。
「私は嘘などついていないよ、ソーン」
ソーンが、息を切らしながら怒鳴る。
「嘘でなければ何だと言うのだ。
ユリを蘇らせるときに、貴様は言った。
『魔物を土台にした生命にユリの記憶を植え付けるため、しばらくは魔物とユリの意思が交互に顕現して不安定となる。しかし、時がたてばやがて安定する。そのときにはユリの思考だけが残り、完全な生命として復活を遂げることになる』と」
トワイライトは、涼しい顔で答える。
「確かにそのとおり。私はそう約束した」
そして、喜色満面で言った。
「事実、そうではないか。こうして少女の思考だけが残っている。
魔物の思考はここにはない。ただし、体の自由はないがな。
少女の思考を保ったまま、強靭な肉体を有し、魔物としての破壊力を持った生命体。
それが今ここに、完全に復活したのだ。喜ばしいことであろう」
息も絶え絶えのソーンが、烈火のごとく怒る。
「喜ばしいだと……戯言を!
ユリを元に戻せ!」
トワイライトは、そんなソーンを嘲笑した。
「それはできんな、ソーン。
私とて神ではないのだよ。私も、私にできる方法で彼女の記憶を現世に蘇らせた。
これ以上のことなど、どう頑張ってもできはしない」
そして、こう言い残して、彼はその場から消え去った。
「それではごきげんよう。愚かな医師殿、哀れな少女、そして少女に殺され行く者達よ」
ユリを支配している魔物は、瀕死のソーンには興味を失ったようで、ゆっくりと彼から離れた。そして、次の標的をクローディアに定めた。
ゆっくりとクローディアの方に向きを変えるユリ。彼女に残ったユリ自身の思考は、必死でそれを抑えようとしているが、やはりまったく体の制御がきいていない。
「嫌、嫌! 私、こんなことしたくない!
誰か、誰か助けて! 私を止めて!」
しかしその叫びも虚しく、彼女はクローディアに飛びかかる。
クローディアは必死で体をひねり、すんでのところで攻撃をかわすが、頭を強打して朦朧とした意識のもとではそれが精一杯だった。彼女はそれ以上の動きをとれず、再び床に倒れ込んだ。
その様子に勝利を確信したのか、ユリはゆっくりと、とどめの一撃の構えをとる。
「嫌あああっ! お願い、誰か私を、私を殺して!」
半狂乱になって叫ぶユリ。しかし、この状況で誰が彼女を止められようか。
クローディアの命運は決したと思われた。
しかし、ここで彼女に声をかける者があった。
「分かった。君を、殺そう」
ユリを支配する魔物は、本能的に危機を悟り、その声のほうへと振り向いた。
ランスだった。多数の深手を負ってなお、彼はゆっくりと立ち上がった。
「ユリ、英雄になりたいって言ってたね」
ランスは、一歩前に踏み出す。一撃を受ければ致命傷となるはずの彼に、なぜかユリは気押された。本能的に恐怖を感じるのか、彼女の体は一歩後ずさった。
「英雄っていうのは、栄誉をほしいままにできる、華やかな存在だ。
でもね、その反面で、決して弱音を吐いちゃいけないんだ。
みんなの期待に応えるために、どんなことからも逃げられない、どんなことにも立ち向かわなければならない」
ランスは、今にも泣き出しそうになりながら続けた。
「そんな苦痛や悲しみを背負って、初めて人は英雄になれるんだ」
クローディアはやっとのことで身を起こすと、固唾をのんで二人の動向を見つめていた。
いったい、ランスはこの事態をどう終息させるというのだろう。
どう考えても勝ち目などない。彼を圧倒的な力量差で破ったソーンですら、ユリにはかなわなかったのだ。
しかし、ランスはユリに勝つ気でいる。やぶれかぶれの、捨て身の攻撃なのか。
ソーンも、大量の出血によって霞む意識のなか、驚愕の念を込めてランスを見ていた。
いったい、彼にどんな勝算があるというのだ。なぜ、逃げもせずに戦うのか。
ランスの行いは、ソーンの常識を超えていた。
そんな二人の疑問に、ランスが発した声が答えを与えた。
「ユリ、いま苦しみから解放する。君の苦しみは僕が背負う」
ランスは大きく息を吸い込み、そして叫んだ。
「Lighten out!」