第10回
光風暦471年6月3日:伝説の戦士
ソーンが叫んだ次の瞬間、彼の全身が稲妻に包まれた。耳をつんざくような雷鳴が轟く。
思わず目を背けるユリ。ランスも、直視しがたい光量に一瞬目を閉じた。
その間に、変化は終わっていた。
ソーンは、純白の鎧装束に身を包んでいた。随所に布をあしらった金属鎧は、騎士の板金鎧よりも優美で、しかし頑丈そうであった。
よく見れば、全身から青白い燐光が立ちのぼっているのが分かる。剣と同じく、強力な魔力を帯びた防具だ。
ユリにとっては初めて見る姿だ。しかしランスは知っていた。ランスは思わず叫ぶ。
「雷光の騎士!」
いかにもと、ソーンはうなずいた。
ユリにとって、今日は最も衝撃的な一日だったに違いない。理解の範疇を超えかけている事実に、彼女は戸惑いながらこう言った。
「雷光の騎士って、まさか、あの伝説の戦士のこと?
ソーン先生が雷光の騎士?」
雷光の騎士とは、この世界で伝説に語られる存在だった。
世界に危機が訪れたときに人々を救うため組織された存在、雷光の騎士団。
その存在は世界中でまことしやかに囁かれているが、その騎士の姿を目にした者はいない。
雷光とともに召還される武器や防具をその身にまとい、あらゆる敵を討ち滅ぼす力を持っていると言われている。
その優れた能力を、「雷光の武具」によってさらに飛躍的に高めた彼らの力量は、神にも等しい「運命の戦士」に匹敵するとも伝えられている。
誰もがその存在を伝え聞いてはいるが、幻のような存在として扱われ、人々の心の拠り所として考えられていた。
そんな伝説的存在が、今、目の前に立っている。驚愕の事実だった。
「あなたのような戦士をここで倒さなければならないことが、残念でなりません。
全ては、私が責めを負うべきことです。
ですが、ここで引き下がるわけにはいかないのです。それが、私の償いであり、『彼女』の幸せのための決意なのです」
ユリは「彼女」という表現に、かすかに引っかかるものを感じたが、それ以上考える余裕はなかった。
ソーンが、ランスに剣の切っ先を向けたからだ。
「全力で勝負してください、ランスさん。
素晴らしい戦士への礼儀として、私も全力でまいります」
ソーンの決意に満ちた言葉を耳にしたランスは、戦いは避けられないと悟った。そして意を決して剣を構える。
しかし、どう見ても形勢はランスに不利だ。耐えかねたユリが叫ぶ。
「お願いです、やめてください!」
ソーンは、それでも決心を曲げなかった。
「ユリ、あなたを悲しませることになるのは分かっています。
それでも、私は戦わなければならないのです。
ランスさん、まいります」
そして彼は、すさまじい一撃をランスに向けて放った。
今の攻撃は、本当に剣の一振りだったのだろうか。
爆発にも似た轟音とともに、ランスを強大な衝撃が襲う。
ランスは、「救世者」ゆえの身のこなしで、かろうじてそれをかわすことができた。
しかし、なんとその一撃によって、背後の階段の天井が崩れ落ちた。
これが、雷光の騎士の一撃。あまりにも激し過ぎる力の顕現だった。
ソーンのあまりの力量に、ユリは言葉を発することもできない。
ソーンやランスも、戦いに専念しており、言葉を口にすることはない。
こうして無言のまま、血みどろの戦いが始まった。
ソーンは、いっそう激しい攻撃を矢継ぎ早に繰り出す。
ランスは防戦しつつ反撃の突きを繰り出すが、この攻撃もソーンにかわされる。
ソーンの攻撃によって、建物の壁に亀裂が入り、徐々に崩れ出す。
しかし、戦いの手が緩むことはなかった。
やがて、ソーンの攻撃がランスを捕らえた。
ランスの脇腹の服が裂けた。剣で斬られる前に、衝撃で弾け飛んだのだ。
そこから血しぶきがあがり、ランスは傍らへと飛ばされた。
「ぐあっ!」
思わずランスは叫ぶ。彼の体は壁にめり込み、そして瓦礫とともに床に落ちた。
常人ならば即死しているはずの深手だ。
しかしランスもさるもの、即座に立ち上がると、どこにそのような力があるのかというほどの斬撃を、ソーンに放った。
ソーンの衣が軽く裂けたが、傷を負わせるには到っていない。
すぐさま、ソーンの次の攻撃がランスを見舞った。
互いの一撃が明暗を分けた形となって、それからのランスは滅多打ちにされていた。
ソーンの一撃一撃が確実にランスの体をとらえ、防具もない彼の体には、次々と深い傷が刻まれていく。
傷による肉体の破壊や痛み、そして床を染め上げる大量の出血は、しだいにランスから立ち上がる力を奪っていった。
やがてランスが立とうとしても叶わず、がっくりと片膝をついたとき、ソーンは剣を下ろした。
勝負は決したと判断したのだ。
「さすがです、『救世者』ランスさん。一度であれ、私に反撃を当てたのは驚きでした。
そんなあなたを倒すのは本当に残念でなりませんが、思いとどまるわけにはいきません。ひと思いにとどめをさします」
ソーンは、内心の苦悩をありありと表しつつも剣を振りかぶる。ランスの首を落とすつもりらしい。
ユリはあまりの恐怖に、ソーンを止めることができない。己の無力さを悔やみながら、ただ膝をついてその場にくずおれた。
もはや絶体絶命か。
だが、そう思われたところに助けが入った。
「待たれよ!」
息せききって現れたのは、クローディアだった。
崩れかけた医院の戸口に立って、自らの剣を抜き放ち、ソーンに向けている。
「ランスを殺させるわけにはいかない。
戦いの手を止めぬならば、私が相手をいたす。心せよ!」
ソーンは思わぬ展開に怯んだが、すぐに我に返って剣を構え直した。
そして、彼女に向かってこう言った。
「クローディアさん。あなたがただ者ではないことも知っているつもりです。
ですが、どうやって私を止めますか?」
「戦って止める。好ましいことではないが、もはやそれしかないのであろう」
眉間に皺を寄せ、鋭い眼光を送るクローディアに対し、ソーンも厳しい表情で言い放った。
「よいでしょう。やってみてください」
クローディアは、一瞬ためらいつつも、呪文の詠唱に入った。
「Dauza! Rauza-ann-eht-palt-mehnu-mehnu-stol!」
神聖魔術の攻撃呪文だ。
舞にも似た体裁き。複雑に組みかえられる彼女の指先が青く輝き、光の軌跡をつむいでいた。
「Maximum Shoot!」
流暢な詠唱にのって、呪文が発動する。
一気に突き出された彼女の指先の光が宙に踊り出し、五本の光の矢となってソーンに飛ぶ。
矢はいずれも、狙い違わずソーンの体をとらえた。
主神オーゼスの強力な攻撃呪文。高位の魔物を一撃でしとめるための、強力な呪文だ。いかに雷光の騎士といえど、これで相当な重傷を追わせられるはずだ。
しかしソーンは、表情一つ変えずに立ち続けていた。
「なぜだ、かなりの打撃を受けたはずだ。昏倒させるつもりの威力で放ったのだが」
動揺するクローディアに、ソーンが語る。
「無効化したのですよ。この防具が、あなたの呪文を。
雷光の騎士の防具は、高い確率で呪文を無効化します。
呪文で私に勝負するのは、いささか分が悪いですよ」
純白の武装は、やはり見かけ倒しではなかった。高い物理防御力に、高い魔法防御力まで備えていた。
魔法防御力をもった防具など、滅多に存在するものではない。旅によって見聞を深めたクローディアですら、一度とてその力を目にしたことがないほどだ。
彼女にとっては、手痛い誤算であった。
やぶれかぶれになったクローディアは、剣を握り直してソーンに襲いかかる。
「ならば、剣でそなたを倒す!」
しかし、もとよりクローディアは剣の専門家ではない。護身用として身につけた程度の技で、伝説の戦士に歯が立つわけなどない。
ソーンの一撃で吹き飛ばされると、頭を強打してそのまま倒れ込んだ。
「残念なことですが、クローディアさん、あなたのお命も頂戴いたします。
ランスさんにとどめをさしたら、次はあなたです」
今度こそ助けはいない。もう、ソーンに倒される運命は変えられないのか。この絶対的な力をもった雷光の騎士を前に、なすすべはないのか。
意識が朦朧とするなか、クローディアは悔しくて歯噛みした。
その時クローディアは、ジョーの幻を見た気がした。
「助けてくれ、ジョー!」
懇願するクローディアに、ジョーは、にかっと笑って言った。
「その必要はねえ」
「なぜだ!? これほどまでに強い敵を前に、いったいどうすればよいのだ!」
飾らない、剥き出しの深層意識そのものとなっている今のクローディアは、普段より随分と弱気だった。
そんな彼女にジョーは、笑顔を絶やさず答えた。
「見守っていればいい。
クローディアが考えている以上に、ランスは強い。それを見てやってくれ」
「ジョーは……ジョーはどうするのだ。助けてくれないのか」
ジョーはおどけて、肩をすくめて見せた。
「悪いな。俺には、行かなきゃならないところがあってな。
今回の一件の裏で糸を引いている奴に、お仕置きをしなきゃいけねえんだ。
というわけで、じゃあな!」
そしてジョーは踵を返すと、かき消えるように姿を消した。
その時、大きな悲鳴が響き渡り、クローディアははっと我に返った。
今の声は、誰のものだったのだろう。
そう思いながら顔を上げると、そこには意外な光景が展開していた。
ランスは苦しそうに地に膝をついたままだ。
ソーンは、そのランスに剣を突きつけていた。
しかしその彼の背に、誰かが腕を突き立てていたのだ。
その腕は、ソーンの鎧の隙間に突き刺さり、腹まで抜けている。そしてそこからは、おびただしい量の血が吹き出していた。
悲鳴はソーンのものだったのだ。
そして彼を背後から不意討ちした者の正体は、ユリだった。