第9回
光風暦471年6月3日:疑念の真相
「ユリ、こちらに来なさい」
ソーンの声は、やはりあくまで穏やかだった。しかしユリは、ランスを閉じ込めたソーンに恐怖を感じているようで、動こうとしない。
「さあ、早く来なさい」
しかし、彼女にとってソーンの存在は絶対であるようだ。再び促されて、しずしずと彼のもとへ動いた。
ソーンはユリを自分の背後に回すと、ランスに言った。
「ランスさん、お願いです。地下室に戻っていただけませんか」
ランスは即座に答えた。
「嫌です。このままおとなしくはできません」
「やはりそうですか。残念です」
ソーンは、作ったものではない心からの悲しみを表情にたたえていた。
そして彼は、傍らに立て掛けていた剣を取り上げ、ランスに手渡した。ランスから奪っていた剣だ。
ランスは「なぜ?」と意外そうな顔をしたが、すぐにソーンの意図を悟り、表情を引き締めた。
「戦えということですね。ソーンさん、あなたと」
「はい。あなたには、知られてはならないことを知られてしまいました。
このままあなたを野放しにはできないのです」
ランスに剣を渡したソーンは、丸腰で立っている。しかし彼からは、悲しみとともに、ただならぬ気迫が漂ってくる。
一触即発の状況に、ユリが耐えられなくなって叫ぶ。
「知られてはならないことって何なんですか、先生!
どうしてランスさんと戦わなければならないんですか!」
ソーンは答えた。
「全ては私の責任なのです。
私がもっと有能だったなら、ランスさんに秘密を知られることもなく、ひいては秘密自体を作ることもなかったのです」
「訳が分かりません! 先生がいったい、何をしたっておっしゃるんですか!」
ソーンとランスが地下室でしたような会話が、ふたたび繰り返される。
ソーンは、長い沈黙の後にこう言った。
「この町に、夜な夜な魔物が出る件についてです。あれは、私のしたことが原因なのです」
「どういうこと、ですか?」
ソーンは観念して、経緯を語り始めた。
「かねてより私は、医術の腕に高い評価をいただいていました。
そして、自らを強く律しなければならないと思いつつも、その評価に有頂天になっていたのです。
そんなある時、町の住人が重い病にかかりました」
ランスやユリが話を呑みこめたかを確かめつつ、ソーンは間をとって話し続ける。
「その人は、病によって体力を奪われ、衰弱しきっていました。
私は懸命に治療を施ししまたが、残念ながらその人は息を引き取りました。
本来なら、そこで終わりだったはずのことです」
ランスもユリも、沈黙して話に集中している。
「ですが、私は思い上がっていました。私にできないことなどないと思っていたのです。
私は、自らの医術によって死者をすら蘇らせられると信じ、それを実行に移したのです」
「実行に移したって……成功したのですか?」
ランスの問いに、ソーンは首を横に振る。
「いいえ。先に地下室で話したとおりですよ、ランスさん。
死者すら蘇らせられるような技があれば、どれだけよかったことか、と。
医術は生命を健やかに保つためのもの。ひとたび失った生命に対しては、残念ながら力は持ち得ません」
「では、その人はどうなったのですか?」
今度はユリが質問した。よい答えが返ってこないと分かっていながら、問わずにはいられなかったのだ。
「その人は意識を取り戻しました。ただしその人そのものとしてではなく、別種の生命との融合によって」
「融合?」
思わぬ言葉を耳にして、ランスがおうむ返しにそう言った。
「ある術者の力を借りたのです。
他の生命をよりしろにして、そこに生前の者の記憶や考えをすり込みつつ、肉体を生前の者の姿に再構成するという方法。
その術者は、これを融合と呼んでいました」
「よく分かりません。結局その人は、どうなったのですか?」
恐る恐る尋ねるランスに、ソーンは続ける。
「その人は、生前の姿や記憶を保って蘇りました。
実際には生前の情報を他の生命に転写した形なのですが、事実上蘇ったという見方もできると思います。
ですが、突き詰めれば別個の生命であることに変わりはなく、そこに弊害が生じたのです。
ときどき、土台にした生命の本来の思考が表面化するようになったのです」
ランスは尋ねた。これが一番嫌な質問なのだと、薄々感付きつつ。
「土台にした生命とは、いったい何なのですか」
ソーンは、苦渋の色を強めながら答えた。
「土台には、二度と病に負けないよう、強い生命力を持った存在を選びました。
反面、生前の人の記憶を表現するのに、土台にする生物の知性は関係ないと考えました。
それゆえに選んだのは、魔物でした」
ここで一呼吸おいてから、ソーンは続けた。
「それが、思いもよらず弊害となりました。
融合が不完全だったのか、時折土台にした魔物の本性が表面化するようになったのです。
本能のままに暴れて、見たものを破壊する怪物。これが、町を荒らす魔物の正体。私が作り出してしまった魔物なのです」
すなわちこれが、ユリの正体にほかならない。
それを知らないユリと違って、ランスにはとりわけ強い衝撃となった。
「そしてランスさんは、昨夜その正体を知ってしまいました。
その秘密を知ったまま、自由にさせるわけにはいかないのです。
だから、ここで戦わせていただきます、全力で」
そしてソーンは、緩やかに戦いの構えをとった。
これに対してランスは、戦いたくない一心で、脅しの言葉を口にした。
「ソーンさん、戦いはやめましょう。
僕は、『救世者』の称号を受けた存在です」
その言葉に、ユリが息を飲んだ。
ランスに抱いている感情に、今の一言がさらなる感嘆を重ねたようだった。
ランスはユリに微笑んだ。安心してほしいという意図を込めて。そしてこう付け足して、ソーンの戦意をくじこうとした。
「たとえ相手が小山のような竜だったとしても、僕はたやすく倒すことができます。
あなたが熟練の戦士でも、簡単に後れは取りませんよ」
彼の期待どおり、ソーンの顔に動揺の色が浮かんだ。しかしソーンは、それでは挫けなかった。
「あなたが穏やかな物腰とは裏腹な腕をお持ちだということは、これまでの身のこなしから気付いていました。
まさか『救世者』だとまでは思いませんでしたがね。
ですが、それで引き下がるわけにもいかないのです。
私は、あなた方が隣町で出会った『剣の担い手』リリベルの師です。彼女がそうであったように、私もたやすく敗れはしません」
そう言うと、彼は構えをとった右腕を、自らの脇へと一振りした。
するとそこに、稲妻のような閃光を伴って、一振りの剣が姿を現した。
持ち主の召還に応じて現れる剣。並大抵の武器ではないことは明白だ。
それを見たランスが、思わずつぶやくように言った。
「雷光とともに現れるその剣……」
彼の声には、かすかに戦慄が混じっていた。
ソーンは薄く微笑んだ。決して勝ち誇っているわけではない。そこにあるのは悲しみだった。
「ご存じでしたか、この剣を。さすがは『救世者』殿です。
去り行く者への礼儀として、お見せしましょう。私の正体を」
そして彼は叫んだ。
「Lighten out!」