第8回

光風暦471年6月3日:目前の疑念

 クローディアは、エブリットの思わぬ発言に目を丸くした。

「何か知っているのか、ランスのことを」

「ええ。ランスさんのことも、そして、彼が立ち向かう相手のことも」

 クローディアの表情が険しくなる。

「立ち向かう相手……ソーン殿のことだな」

「そうです。

彼の正体を私は知っています。いかに『救世者』のランスさんといえど、あのソーンさんには歯が立ちません」

 冷静に語るエブリットに対し、クローディアはあり得ないと首を横に振る。

「信じられぬ。

ソーン殿はただの医師ではないと思ってはいた。しかし、そこまでなのか?」

「そうです。真偽のほどは、クローディアさんご自身の目で確かめてみてはいかがでしょう。

あなたの助けがなければ、おそらくランスさんは死にます。

ランスさんを助けるためにも、彼を追ってはいかがでしょうか。

それをお伝えしに、私はやって来ました」

 そう言うとエブリットは、腰に差していた細身の長剣を抜いた。

 金色の燐光をまとった魔法の剣を構えると、彼は扉に向かって一閃した。扉の鍵は、その一振りでいともたやすく壊された。

「お供してもよろしいのですが、それはお望みではないでしょう。

私はこれで失礼します。クローディアさんとランスさんのご無事を祈っていますよ」

 それだけ言うと、エブリットは背を向けて歩き出す。

 その彼に、クローディアが叫ぶように問いかける。

「待たれよ。今ひとつ……ジョーはどうなっているか知らないか」

 エブリットは興味がないといった風情で、振り返りもせずに肩をすくめた。

「さて、ここにはいませんよ。隣にもう一つ牢があるのですが、扉の鍵は壊れていますし、中は空です。

それでは、またお会いしましょう」

 そして彼は、足早に立ち去った。

 しかし無関心を装うなら、わざわざ隣の牢を調べたことを言わなければよいものを。彼もなかなか不器用な性分なのかもしれない。

 そのことを悟ったクローディアは、彼と同じように肩をすくめると、静かに牢から外に出た。


 ランスは、部屋の扉の取っ手を掴んだ。

「(このままじっとしているなんて、できないよ)」

 そして、扉を軽く押し引きして、鍵の堅牢さを確かめた。

 確認が終わると、一歩下がって扉の前で手刀を作り、扉を壊すための構えをとった。

 その時、扉の外から足音が聞こえてきた。

 先程のソーンの足音とは違っていることが、ランスには分かった。

 もしやと思ったランスの予感は的中した。ユリだった。

「ランスさん、いま扉を開けます」

 切迫したユリの囁きが、扉越しに聞こえてきた。

 ランスは、まさかこの時点でユリに会うことになるとは思っておらず、心の準備を整えきれなかった。

「ユリ、どうしてここに」

 豹変したユリを見た体験を頭の中で整理できておらず、少なからず動揺が声に混じる。

 しかしその動揺の真意は、ユリに感づかれることはなかったようだ。

「今朝、ソーン先生のところに来たら、様子がおかしかったんです。

それで、医院の中を調べていたら……。

どうしてこんな事になったのか、私にも分からないんですけど、けど……ごめんなさい」

 その言葉に続いて、扉の鍵が開く音がした。

 そして、音もなく開いた扉の向こうには、今にも泣き出しそうなユリが立っていた。

「ユリ、どうして謝るんだい」

 言いようのない不安が、ランスの中で高まっていく。

「ごめんなさい、混乱していて。何がどうなっているのか分からないんです」

 そして、一呼吸の間を開けて、ユリはこんなことを口にした。

「昨日も、夢を見たんです。とっても現実的に思える夢を。

とっても夢見が悪くて、胸騒ぎがしながら医院に来たんです。

そうしたら、こんなことに」

 答えを薄々予想しながら、ランスは彼女に問う。

「夢っていったい? そんなに悪い夢だったの?」

 ユリは、ランスを直視することもできず、うつむいてこう答えた。

「また、いつもの夢だったんです。私がとっても強い英雄になって戦う夢。

でも、夢の中で戦ったのは……ランスさんだったんです。

ランスさんと戦って、怪我を負わせて。その感触もありありと思い出せるような、そんな生々しい夢で」

 そこでユリは、ランスの腕の包帯に気付く。

「ランスさん、その腕の怪我は」

 ランスは一瞬凍りついた。

「え、こ、これかい?

ここに捕らえられたときに、できた怪我なんじゃないかな?

ほら、だからソーンさんが気付いて手当てしてくれたんじゃないかと思うよ」

 必死に、何とかそう取り繕えた。

「そうでしたか」

 ユリも納得はしてくれたようだが、状況が状況ゆえ、やはり不安が消え去るわけでもない。

「うん。今はとにかく、ここを脱出しよう。ユリ、案内してくれるかい」

「はい」

 血色を失ったユリの表情を痛々しく思いながらも、ランスは状況打開のため、ユリを促して外へと歩き出した。

 しかし、無事に脱出はできなかった。地下室だった部屋から地上への階段を上がったところに、ソーンが待ち構えていたのだ。