第10回

光風暦471年5月20日:約束

 リリベルがいなくなって、一番慌てたのはヒューイだった。

「ちくしょう! リリベル先生がいなくなった! どうしたらいいんだよ!」

 もちろん、他の子供やヴァルター、ジョー達も動揺していないわけではない。

 しかし、ヒューイの慌て様はただごとではなかった。顔をこわばらせて、リリベルの姿を求めて走り回る。

「落ち着くのだ、ヒューイ。一番年長のお前が、そのように取り乱してどうする」

 そんな彼を見かねて、ヴァルターが声をかける。

「そんなこと言ったって、俺、俺……。

リリベル先生にもしものことがあったらって思うと、いてもたってもいられないんだよ」

「大丈夫だ、ヒューイ。その心配はいらない」

 表情を曇らせてはいるものの、ヴァルターははっきりとそう言った。

「ど、どうして?」

「先程確認してきたが、剣がなくなっている。リリベルがそれを携えているのだ」

 面食らって息を呑むヒューイに、ヴァルターが付け加える。

「剣を持った彼女の強さは、お前も十分知っているはず。

心配無用だということも、分かるはずだ」

「う、うん」

 そう言われて少しは安堵したようだが、落ち着いたためか、同時に疑問が浮かんだようだ。

「でも、いったいどうしてリリベル先生は、剣を持って出ていったんだろう」

 そうヒューイが言ったとき、同時に神殿の入り口から声をかけられた。


「おじゃましますよ」

 その声は、エブリットのものだった。

 一同が振り向くと、まさしく昨日見た姿と同じ、金の長髪の優男が立っていた。

「お前か? お前だな! リリベル先生を連れ出したのは!」

 怒髪天を衝くといった形相で、ヒューイが彼にに駆け寄りながらまくしたてる。

 対するエブリットは、冷淡さを交えた涼やかさでもって答える。

「そのとおりです。ですが心配には及びませんよ、彼女に危害は加えません」

 そうは言われても、そのまま納得して引き下がることなどあり得ない。ヒューイは怒りにまかせて、さらに叫ぶ。

「うるさい、さっさとリリベル先生を返せ!」

「それはできません。そもそも、彼女はご自身の意思でここを出たのです」

「適当なこと言うな! 剣まで持ち出させて、いったい何をするつもりなんだ!」

「それをお教えするつもりはありません。

ただ、あなた達が危険にさらされることはありませんから安心してください」

 エブリットは、あくまで淡々と答える。取り付く島もない。

 そこにジョーが割り込んだ。

「ところで、再会の挨拶もなしに出し抜けですまねえがよ。

お前さんは、それを言いにわざわざここに戻ってきたってわけか?」

 ヒューイとは対照的に、ジョーは落ち着いた、とぼけた様子で尋ねる。

 ことさらに不快感を表すでもなく、焦る様子もない。いつものような自然体だ。

 エブリットは、朴念仁のジョーを相変わらず軽視はしているものの、先日一杯食わされた体験から苦手そうな表情をわずかに見せる。

「いいえ。彼女との約束を果たしにきたのですよ。

彼女と剣の力を借りる代わりに、これをするという約束なのです」

 そう言いながら、エブリットはヒューイの額に、白くて細い手をつけた。

「な、何すんだよ!」

 ヒューイは慌てて叫ぶが、すかさずエブリットが厳しい声で制する。

「動かないでください。すぐに終わりますから」

 何をするのかと色めき立つ一同。しかし、エブリットはものすごい速さで、小声で何かの呪文らしきものを唱え上げる。すると、彼の掌が青く光り、一瞬目を覆うばかりのまぶしさになったかと思うと、すぐにその光は消え去った。

「いったい何を……」

 呆然として問うヒューイ。どうやら、痛みや苦しみはなかったらしい。

「それは言わないほうがいいと思います。

何をしたかはおそらく、司祭殿ならお分かりなのではないでしょうか?」

「……」

 ヴァルターは、驚きのあまり言葉が出せない。

 彼やジョー達三人には分かった。エブリットは、不完全な状態で蘇生されていたヒューイを、完全にもとどおりに復活させたのだ。どのような魔法を使ったのかは、誰にも分からなかったが。

「意外だな。正直、今のには驚いたぜ」

 感心したようにジョーが言った。

「何がです?」

「リリベルさんと交わしたっていうその約束を、お前さんが守ったことがさ。

お前さんなら約束なんかすっぽかしても、リリベルさんからの反論ぐらい力でねじ伏せられるんじゃないのか?」

 それがどうしたと言わんばかりに、エブリットは冷たく答える。

「ふん。確かにそうですがね」

 そして彼はそっぽを向く。

「単に、約束を破っても得をすることがないと思っただけですよ。それだけのことです」

 その様子や口調は、痛いところを突かれてむきになっているようにも見えた。しかし、意外と律儀な性格はしているらしい。

 ジョーはその様子を見て、にやにや笑っている。

 ランスやクローディアは、悪の権化と思っていたエブリットの意外な一面を見た思いで、目を丸くして沈黙していた。

 そしてエブリットは、ジョー達と視線を合わせないまま、こんなことを切り出した。

「その少年の向こう見ずなひたむきさに免じて、彼女や剣を取り戻す機会を与えましょう。

この町でもうすぐ開催されるという武道大会。彼女にそこへ出場してもらいます。

あなた方の誰かが出場して彼女に勝てば、彼女や剣とはお別れしますよ」

 そして彼は、そのまま早足で立ち去った。

 あくまで怜悧に気取ったつもりだったのだろうが、風に舞う金髪の隙間から覗く彼の耳が、心なしか赤いように見えた。