第2回

光風暦471年5月10日:少女の横顔

 その日の夕方。

 ようやく目覚めたジョーは、盾ばかりか剣の手入れまですっかり終わったランスと一緒に、宿を求めてレイザンテの町に入った。

 通りには、日暮れまでに今日の仕事を終わらせようと慌ただしく動き回る人々が満ちている。

 しかし、訪れた旅人であるジョーやランスを目に留めると、皆が笑顔で挨拶の言葉をかけてくる。

「いいところだね、ここって」

 心温まる思いに包まれながら、目を細めてジョーに語りかけるランス。

「そうだな。こういうのって嬉しいよな。なんてえか、掛け値なしの親切ってのかな」

 ジョーも喜んでいるようだ。子供のように素直に、気持ちが表情に出ている。

「でも、あんまりうろうろしてっと、みんな親切なだけに邪魔になりそうだ。

さっさと宿を見付けて入るとすっか」

「うん、そうだね」

 そして柔らかな夕陽を浴びながら、二人は町の奥へと進んでいった。

 町とはいえ、レイザンテはそれほど大きくはなかった。訪れる旅人も少ないらしく、宿屋は一軒だけだった。

 結果、日が沈みきる前に、二人はおのずとその宿の玄関先に辿り着いた。

「ねえジョー」

「おう。どうしたランス」

「宿が一軒だけってことは、さっきの旅の女の人もここに泊まってるのかな」

 ランスは穏やかな笑顔をジョーに向け、疑問を口にした。ジョーには意外な質問だったようで、一瞬考えるそぶりを見せたが、すぐに平然と答えた。ランスの期待を肯定する内容を。

「ん? ああ、そうだな。ここか寺院か、どっちかなのは間違いないだろうな」

「旅の話とか、できたらいいなって思うんだ。もう一度会えるといいな」

「おう。じゃあ、とにかく入ってみようぜ」

 そしてジョーは、意気揚々と宿屋の扉を開いてくぐった。

 扉の向こうは、橙色のほのかな灯りに照らされた酒場だった。

 酒場と言っても実質的には宿屋の食堂で、老若を問わず受け入れる。二階の寝室に荷物を降ろした宿泊客が旅の疲れを癒す場になっているのだ。この世界の宿屋では定番的な造りだ。

「いらっしゃい。今日は二組目だ。珍しいな」

 町の人々と同様、気さくな口調で主人が声をかけてくる。

「へへっ、そうかい。今夜一晩泊めて欲しいんだけど、部屋はまだ空いてるかい?」

「おうとも。歓迎するよ、お二人さん」

「嬉しいね。ひとつよろしく頼むぜ、ご主人」

 と、ジョーとの間で屈託のない会話が交わされる。

 その間、酒場の中を眺めていたランスは、すぐに先客の姿を目に留める。

 先程の少女だ。片隅に腰を下ろして、静かに食事をとっている。暖かな色の光に照らされて、長い銀髪が金髪に見える。

「こんぱんは。また会えたね」

 にこやかに会釈するランスに、少女も軽く頭を下げて応じる。

「先程の方々だな。ごきげんよう」

 そのやりとりを聞いた宿の主人が、一同に問う。

「おや、皆さん、お知り合いなのかい?」

「まあな。さっき道で会ったって程度だけど」

「しかし、こうして再会できたのも何かの縁だ。お二人とも、一緒に食事でもいかがか?」

 そのようにジョーと少女は、気負いなく会話しているが、ランスはやはり少女のこの話し方に面食らっているのか、返答に詰まっている。

 その間に、ジョーが平然と誘いを受ける。

「おう。まっとうな食事も久しぶりだし、ありがてえ。ランスもいいよな、もちろん」

「う、うん。よろしくお願いします」

「こちらこそ」

 そして二人は、寝室に荷物を降ろしてから、彼女のいるテーブルについた。


「とりあえず、何を話すにも名前からだな。俺はジョーってんだ。フォルテンガイムのジョーだ」

「僕はランス・ダーウィン。ジョーの幼なじみだよ」

 手際よく並べられた料理を前に、三人は話し始める。

 料理にはあまり手をつけずに、少女の様子ばかり見ているランス。

 片やジョーは、どちらかというと料理に関心がいっているようだ。下品にならない程度に、さっそくよく食べている。

「私はクローディア・グランサム。アリミアから旅をして来た」

 ジョーとランスとの対照的な様子を見ながら、彼女も名乗った。そして、うっすらと微笑む。

 流れるような銀の髪。澄んだ青い目。美人と言うにはまだ齢を重ねる必要があろうが、見る者の心を捕らえて離さないような、際だった容貌だ。今見せた微笑みで、いっそう魅力が増したようにも思える。

「アリミアから? ずいぶん遠くから来たんだね」

 内心どぎまぎしているランスは、やっとのことでそう返した。

 アリミア王国。かつてはヨーロッパと呼ばれた地域に立地する、広大かつ強大な王国。

 世界最高の国力を持つと評され、世界のリーダー役を自認している国だ。

 一方でレイザンテのあるレグナサウト王国や、ジョーやランスの出身国であるフォルテンガイム連合王国は、かつてアメリカ合衆国が存在した位置にある。アリミア王国からの距離は計り知れないほどだ。むろん、広大な大西洋も隔てている。ランスの感想は、もっともなものである。

「あてのない旅だ。距離はあまり気にならない」

 と言って、再び微笑むクローディア。

 そんな彼女に、出し抜けにジョーが尋ねた。尋ねたと言うよりは、ランスに言い聞かせるような話しぶりにも聞こえた。

「アリミアのクローディアって言うと、『西方の聖者』じゃねえのか?」

「あ」

 今、思わず声をあげたのはランスだ。

 西方の聖者。

 この世界では非常に名の通った聖人だ。

 並外れた知力と徳の高さとを具えた人物で、アリミア王国周辺で数々の偉業を積み重ねてきているとして、世界的に有名な人物だ。

 彼女の仕草に動揺して、そのことに気付かなかったランスも、その人物のことはよく聞き及んでいた。

「御意。多くの方々に、そうお呼びいただけている。

私自身は、まだまだ精進が足りぬ身だと思っているのだが」

 控えめにそう言って、頭を下げるクローディア。

 すっかり舌を巻いたランスが、おずおずと彼女に話しかける。

「『西方の聖者』の噂は、僕もよく聞いてるよ。でも、もっと年をとった人だって思ってた。

あなたを見てびっくりしたよ。とっても若く見えるもの」

「若くても、すげえ奴はすげえってことだ」

 食事の手を止めて、さらっと言うジョー。こちらは、「西方の聖者」の正体に驚いているというより、感心しているといった風情だ。

 そのような有名人を、面と向かって「奴」呼ばわりとは、彼らしいと言うほかないが。

「しかしあなた達も、このように危険に満ちた世界を、たった二人で旅されておいでなのだ。

ひとかどの方々だとお見受けするが」

 そうクローディアが尋ねたところで、宿の表から慌ただしい足音が聞こえてきた。

 と思うが早いか宿の扉が開いて、血相を変えた町の住人が一人駆け込んできた。

「大変だ! 町の外を魔物が取り囲んでいる!」

「なんだって!? 数は?」

「分からない。数え切れないくらい、たくさんなんだ!」

 血相を変えて身を乗り出す宿屋の主人。彼は必死で気持ちを落ち着かせながら、ジョー達に声をかける。

「あんた達、悪いところに居合わせちまったね。こんなこと、今までなかったのに。

運がなかったと諦めておくれ」

 ランスは、ジョーと目を合わせる。

「ジョー。行かないとね」

「おう。突然でびっくりだけど、行くしかねえな」

 と、小声で言葉を交わしていると、彼らの横でクローディアが立ち上がった。

 それを見た主人が、気の毒そうに彼女に言う。

「お嬢さん。あんたにも気の毒なことになった。せめてどこかに隠れていたほうが」

「私が出る」

「え?」

 毅然としたクローディアの答えに、主人は口を開いて呆然とする。

 そんな主人をはじめ、この場に居合わせる全員に、クローディアは凛として宣言した。

「私が魔物の相手をする。皆様には危害は加えさせない。ご安心なされよ」