第1回
光風暦471年5月10日:ジョー、少女に出会う
うららかな春の昼下がり。
二人の若い男が、青い香りのする風が吹く草原の街道を歩いていた。
一人は生成り色の平服姿で、荷物が入った背嚢以外に装備品はない。もう一人は下に軽装の金属鎧を仕込んだ緑の服を着ていて、両手持ちの大剣と盾を背に負っている。彼らが相棒であるなら、いささか不釣り合いな外見だ。
「かあぁ、気持ちいいなあ、ランス!」
思い切り伸びをしながら、平服の男が相手に話しかける。
金色の短めの髪の男。切れ長の青い目を閉じて、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んでいる。
年齢は二十を少し過ぎたくらい。天にも届きそうなほどの大男だ。
鍛え込まれて引き締まった体格や、覇気に満ちた精悍な顔立ちが、その上背によく合っている。
ただしその仕草は、およそそれらには似つかわしくない。
「そうだね。こんなに天気がいいなんて、久しぶりだしね」
ランスと呼ばれた武装した男が、金髪の大男に答える。
ランスは、茶色い髪に、同じく茶色い目をしている。背も体格もそこそこで、装備品を除けば、こちらはずいぶん平凡な容貌だ。大男より少しだけ年下に見える。
顔立ちも穏やかで、話し方も穏やか。こうして並んでいると、二人の違いが際だつ。
「なんだか今日は、いいことがありそうな気がするよ、ジョー」
と、ランスが続けた。
大男の名前はジョー。彼は空を見上げながら歯を見せて笑い、ますます伸びをして答えた。
「おうよ。俺様と一緒なら、いつもいいことだらけだろ?」
「ははは。まあね。そういうことにしとくよ」
二人は軽く笑い合って、ゆっくりと歩を進めていく。
のどかな午後のひとときも、ゆっくりと過ぎていく。
「ねえジョー、ここでちょっと休んでいかないかい?
ここで休んでも、夕方までにはレイザンテに着けそうだし」
街道の脇にそびえる大樹の陰を指さして、ランスがジョーに持ちかける。
彼らの目的地であるレイザンテの町は、既に視界に入っている。あと一時間も歩けば無理なく到達できる。
「いいな、それ。よし、ちょっくら昼寝しようか」
ジョーは、言うが早いか、木陰に歩いて行って横になる。
本当に、そのまますぐに寝入ってしまいそうな勢いだ。
「昼寝もいいけど、ほどほどにね」
「おう。任せとけ」
「いったい何を?」
ランスもジョーの脇に来て、背中の装備を降ろして座り込んだ。
ジョーでなくても、じっとしていると眠ってしまいそうな、そんな陽気だ。
盾の手入れをしながら、ランスは思考にふける。
「(いつ終わるか分からない旅だけど、こんなのもいいよね)」
彼らは祖国を出て、旅を続けている。
ここはレグナサウトという王国の領土にあたる。彼らの祖国、フォルテンガイム連合王国の東隣にある国だ。
異国の地で彼らは二人、見知った顔に出会うこともなく旅を続けている。
「(それに、僕達はまだ旅に出たばかりだ。今から終わりのことを考えなくてもいいし)」
無意識のうちに優しい微笑みを浮かべながら、ランスは手入れを続けた。
「(おや)」
不意に顔を上げるランス。
彼の視線の先、徒歩で二分ほどの距離に、こちらへ歩いてくる人影が一つ。
目を凝らすと、女性の旅人らしいと分かった。
「(女の人が一人で旅って、珍しいな。町の外には魔物がたくさんいるのに。大丈夫なのかな)」
彼女は、ランスやジョーが来た方向から歩いてくる。
すなわち、間近のレイザンテを発った直後ではなく、既にかなりの距離を歩いてきたことになる。
ランスが考えたとおり、この世界には魔物と呼ばれる人類の強敵が跳梁している。隙を見せればすぐにでも命を奪いに来るような、危険な存在だ。
悪魔をはじめとするそうした魔物達は、一般人よりはるかに強靱な肉体を持ち、なかには強力な魔法を操るものもいる。だからこそ、旅に出るには覚悟が必要であり、ランスのように武装するなど、並々ならぬ用意も必要なのだ。
ランスは、近付いてくる彼女の観察を続ける。不躾ととられる向きもあろうが、それは危険が伴う旅路における生存術であり、処世術でもある。
「(細身の長剣を腰に吊っている。でも、これといった鎧は着けていない。術者かな?)」
魔法を操る人々のことを、術者という。武術を志す「戦士」の対義語だ。
魔物だけではなく、人々にも魔法を操れる者がいる。
この世界の人々は、かつて、突如現れた魔物の脅威に対抗するための力を二つ、降臨した「神」から授かっている。
一つは「魔力」。これは魔法を操る力であり、それ以外にも、人の基本能力に様々な影響を及ぼしている。
もう一つは、修練を積めば無限に能力を高められる資質。
これらによって彼らは、我々の時代の人々とは一線を画する力を手に入れている。
ただし、それらをものにするためには相当な修練が必要だ。それゆえ、魔物に対抗しうる力を持った人々は一握りにとどまる。
「(肉弾戦が苦手な術者が、こうして一人で旅を続けられているということは、かなりの魔法の使い手なんだろうか?)」
とランスが考えたところで、彼女が二人の目の前までやってきた。
銀色の長い髪に青い目の、幼い顔立ちの少女だ。
年の頃は十代半ばに見える。
ここまでのランスの思考を全て白紙にせんばかりの、あどけない容貌の持ち主だった。
術者であることは間違いないようだが、とても達人には見えない。
「こんにちは」
思考を頭の片隅に追いやって、ランスはにこやかに挨拶する。
彼女は微笑み、生真面目な仕草で会釈して答える。
「ごきげんよう」
そこまで言葉を交わして、ランスは傍らの大男に目をやる。
見れば、すっかり眠り込んでいる。
苦笑しながら、ランスはジョーを揺り起こす。
「ジョー、起きて。旅の方に挨拶してよ」
「ん? おあっ、や、山盛りサンドイッチはどこに!?」
「……何それ、ジョー」
「ちっ、夢だったのかよ。現実は厳しいもんだぜ」
「それはいいから、挨拶して」
ランスに促されて、寝ぼけまなこで起きあがるジョー。
目の前にいる旅の少女の姿を見てとる。
そして。
「よう」
と、一言。
少女も、軽い会釈で答える。
横にいるランスが呆れるほどの簡単な挨拶だ。かといって双方とも不機嫌そうなわけでもなく、さっぱりしているのだが。
というところで、きびすを返して立ち去ろうとした少女に、ジョーはもう一言だけ声をかける。
「気を付けて行きなよ」
少女は振り返って、今度は深めに頭を下げて言った。
「かたじけない。このようなご時世だ、あなた達も気を付けられよ」
「おう。じゃあな」
無頓着なほどに、至ってあっさりしたジョー。
いや、本当に無頓着なのかもしれないが。
反面ランスは、幼い見かけにそぐわない少女の言葉遣いに面食らっている。
「ああいう人があんな風に話すのって、ちょっとびっくりしたよ」
「そっか?」
「うん。あと、綺麗な人だったね。綺麗っていうか、可愛いっていうか」
「おう」
「『おう』って、それだけ?」
「おう」
「ほんっと、ジョーって女の人に興味ないんだね、相変わらず」
「俺様は男女で贔屓はしねえ」
「いや、そういう問題じゃなくて」
「ふああ……んじゃ俺、もう一寝入りするわ」
「……」
そして今しばし、穏やかな時間が流れていくのだった。