第7回

光風暦471年6月11日:知られざる約束

 クローディアは、泣きながらウェインの手当てをしていた。

 彼女が今いるのは、ウェインの住む屋敷だった。ジョーに殴られて傷を負ったウェインは、したたかに頭を打っていたようで、意識が朦朧としている。そうした中、どうにかここを聞き出して、クローディアが彼を連れてきたのだ。

 神聖魔術で傷をふさぎ、必要な処置を施した後、彼女はウェインを寝かせた寝台の横で泣きながらうなだれていた。

「(これでよかったのだろうか、本当に)」

 先の体験を繰り返し思い出しても、気持ちの整理がつかない。傷ついたウェインをおもんばかる気持ちもあるのだが、それ以上にジョーに対する様々な気持ちが、彼女を苛んでいた。

「(なぜジョーは、あれほどひどい言葉を発したのだろう。なぜジョーは、暴力に訴えたのだろう。私はジョーを見損なった)」

「(しかしなぜ、私はそんなジョーにであっても、同じ暴力で報いたのだろう。ジョーのしたことは、許されざること。しかし、これで本当によかったのか)」

「(そして、ジョーは無事なのか。あの時の私には、確かに殺意があった。許されざる存在は、私ではないのか)」

 そうした様々な思考が、ずっと消えずに彼女の頭の中を駆けめぐっていた。そしてそんな彼女にも、一つだけはっきりと理解できたことがあった。

 それは、取り返しの付かないことになったということだった。だからこそ、彼女はいまだ泣き続けているのだった。

 不意にウェインが、クローディアに語りかけた。とても弱々しい声で。

「どうか泣かないでください、クローディアさん」

 クローディアは、涙をぬぐって答えた。しかし、後から後から涙があふれてくる。

「泣かずにはいられぬのだ。私は、許されないことをしてしまった。

何が『西方の聖者』だ。私は単なる野蛮な獣ではないか……」

 ウェインは、あえて厳しい言葉を紡ぐことで、クローディアを励ました。

「ですがそれは、私を守ろうとして行ってくださったことではありませんか。あなたがあなたご自身を許さなければ、私の立場はどうなるのです?」

「それは」

 絶句するクローディアに、ウェインは言った。

「たとえ誰が許さなくても、私はあなたに感謝して、そしてお慕い申しあげます。誰があなたのもとを去ろうとも、私はあなたと共にあります。だから」

 クローディアは、涙を流しつつ固唾を呑んで、ウェインを見つめる。ウェインの言葉の続きは、こうだった。

「あなたにも、私のそばにいていただきたいのです。

同じ永遠の時を生きる者同士。どうか添い遂げさせてください、お願いです」


 それから数時間経ってのこと、ジョーは一人の男を伴って、ウェインの屋敷の前に立っていた。

「ここがその屋敷か。確かに、中にクローディアの存在を感じる」

 森の中に建つ巨大な屋敷を見上げながら、ジョーがそう言った。

「はい。以前より我らが要注意人物としていた者、ウェイン・スレイドの屋敷でございます、陛下。捜索令状はこちらに」

 肩までの金髪、怜悧な青い目。実直さを絵に描いたような美丈夫がジョーに答え、固い鞄から蜜蝋で封じられた書状を出して手渡した。彼はこれまでの旅でジョー達が出会っている人物ではないが、ジョーのことを陛下と呼んだということは、ジョーの正体を知っているということになる。

「迅速な対応に感謝する。女王陛下にもよろしく伝えてくれ」

 折り目正しい敬礼をして、ジョーは書状を受け取った。そしてこう付け加える。

「あとよ、前にも言ったけど。ジョーでいいってばよ、エドワード。俺達は、昔っからの戦友だろうがよ」

 エドワードと呼ばれた美丈夫は、屈託のないジョーの言葉に、緊張をほぐして笑った。

「ではお言葉に甘えて、ジョー。

あなたは変わりませんね。とても安心しました。

ですが、本当にこの先、お一人でよいのですか?」

 ジョーは真顔になってうなずいた。戦士としてのジョーの素顔だ。

「ああ。お前さんには、その腕を見込んで、一つ頼みがあるんだ」

 そしてその内容を告げると、ジョーは屋敷に踏み込んで行った。


 ジョーはまず、玄関にある大きな木の扉に付いた叩き金を叩いた。しかし、待てども誰も出てこない。予想された結果だ。

 この屋敷は、城と呼んでもよいほどの偉容を呈していた。しかし、それが玄関に誰も来ない理由にはならない。ジョーを敵対者と判断して、様子を見られていると考えるのが正しかろう。ジョーもそう判断して、今度は一瞬の間の後に遠慮なく扉を開き、中に入った。

 ジョーは、中に入る瞬間、そして中に入った直後にも、一瞬ずつ動きを止めている。そのわずかな間に罠の有無を判別しているのだ。いつもどおりの丸腰で屋敷に突入する大胆さは、こうした定石に裏打ちされてこそのもの。彼が百戦錬磨の戦士だということが垣間見える。

 惜しむらくは、それがクローディアやエブリットの目にとまっていないため、彼女達の評価にはまったく影響しないことか。もっともジョーが、そうしたことを気にするようにも見えないのだが。

 予想どおりに広大な玄関ホールを、ジョーは迷いなくまっすぐ突っ切る。そして1階の正面にあった扉に手を掛けると、造作もなく開いて奥へと踏み込んだ。そしてジョーの姿が扉の向こうに消えると、音もなく扉が閉まった。

 扉をくぐったジョーは、広間に出た。天井の高い、巨大な空間だ。その割に調度もなければ、窓もない。あるものと言えば、遠く正面の壁に見える扉一つきりだ。見ると、背後にあるはずの扉がない。ジョーは魔法による転移で、この部屋に飛ばされたらしい。よく見れば壁も天井も頑丈な石造りで、ここが幽閉のための部屋であることが分かった。

 そしてジョーが扉に向かって進み始めると、その扉が開き、帯剣した男が一人入ってきた。

「そこまでだ、侵入者よ」

 そう言ってジョーを制した男。その姿は、ジョーと瓜二つであった。