第13回
光風暦471年6月3日:全き力
ランスがユリを破った少し前のこと。薄暗い森の中に、黒い長衣の男、トワイライトが立っていた。
風除けから覗くその口元は、醜く吊り上がって喜びを表していた。
「これで、力はあれど情けにほだされる、愚かなソーン達は滅ぶ。
そして、娘は止める者のないまま暴走を続ける。
全ては予定どおり。
人間という生き物は、愚かなものだと再確認できた」
彼はどうやら、人間ではないらしい。
何者なのかはさておき、彼は確信に満ちた喜びにひたっており、腕を広げて歓喜を表していた。
しかし、そんな彼に、背後から声をかける者があった。
「貴様、人間をなめていないか」
驚いて振り向いたトワイライトの動きが固まった。
彼にとって見覚えのある人物が、そこに立っていたのだ。
「お前は、『運命の戦士』!」
漆黒の全身鎧に身を包んだ戦士。主神オーゼスの「聖なる武具」に身を包んだジョーだった。
「いかにも。また会ったな。
トワイライト、は通り名だな。本当の名前は、イヴァクセン・フォーラか」
「き、貴様、なぜ私の名を知っている! そしてなぜここに現れる!」
先程までの喜びはどこへやら、彼はすっかり、得体のしれない恐怖に支配されていた。
ジョーはその問いを無視して、彼、トワイライト=フォーラをあざけるように言った。
「もう一度言う。貴様、人間をなめていないか。
人間の力は無限だ。貴様は、これからその一端を思い知ることになる」
「何だと。人間ごときが、不遜な口をきくものだ」
このようにフォーラは強がるが、ジョーは意にも介さない。
「得意の覗き見で、ユリ達の様子を見てみるがいい。
そこで貴様は、人間の『強さ』を見るだろう」
言われたとおりに、フォーラは術を使って様子を伺った。
彼の顔が、さらにこわばる。
「馬鹿な! なぜ娘が倒されている!
このようなことはあり得ん!」
取り乱すフォーラを、ジョーが一笑に付す。
「貴様は人間の力量を見誤った。そして人間の心の強さも見誤った。
その程度の者が『人間ごとき』などと吹聴するとは、笑わせてくれる」
そしてジョーは、きっぱりと宣言した。
「そのまま、最後まで見ているがいい。貴様はこれから完敗する。
俺達人間にとって最良の形で終わりを迎える様を、ここで見ているがいい」
「ふざけるな、人間! お前達など」
フォーラは負け惜しみを口にしようとするが、途中でジョーに遮られた。
「それからもう一つ。
俺は前に言ったな。はかりごとを続けるなら、次は俺が手を下すと」
フォーラの背筋に寒いものが走った。
どうあがいても目の前のこの戦士に勝てないことを、彼の本能が悟っているのだ。
ジョーは、にやりと笑った。
「貴様にとって、最も苦痛となる末路を与えてやろう」
ランスはユリを抱きかかえて、声をあげて泣いた。
自分のしたことに悔いはない。しかし、どうしても悲しかった。
ユリは、ランスの一撃で体を両断されていた。もう暴れることもない。
「ランスさん、泣かないで……ありがとう」
今にも息を引き取ろうとしているユリは、とても安らかな顔をしていた。
大量の出血で、既に感覚がなくなっているのだろう。
「ユリ。僕は、僕は、これ以上君を苦しませない。
それが、僕からの君への気持ちだ」
「はい、私、とっても幸せです。
こうしてランスさんに会えたこと。
あのね、ランスさん」
ユリは、聞き取るのがやっとの声で、ささやくように言った。
「何だい、ユリ?」
涙で顔もぐしゃぐしゃになったランスは、ユリの顔をまともに見ることもできない。
「英雄って、やっぱりすごいと思います。
生まれ変わっても、私、英雄を目指します。
ランスさんも、頑張って」
そしてユリは目を閉じ、それきり動かなくなった。
クローディアも、そしてソーンも、悲しみで思わず目をそらした。
実はクローディアは、神聖魔術でも極秘とされる高位の呪文である、蘇生の術の存在を知っていた。そして、それを使うことができればどんなによいだろうかと考えていた。
しかしその術を、ユリに施すことはできなかった。なぜならユリを蘇生させると、魔物と融合したまま蘇生させることになり、元の木阿弥になってしまうからだった。
蘇生の術を使えたにしても、打つ手はない。クローディアは、歯がゆさに涙した。
ソーンもまた、自らの命の灯火が消えようとしているのを悟りながら、泣いていた。
「私のしたことは、いったい何だったのだろう」
思わずそうつぶやいた。己の無力さを嘆き、己のしたことを悔やみながら。
すると、そんな彼に答えを返す者があった。
「間違いだったのだろうな」
咎めるでもなく、嘲笑うでもない。とても優しい声だった。
「あなたは」
やっとのことで視線を上げると、そこには漆黒の鎧の戦士が立っていた。
羽織った外套に付いた竜顔の紋章が、彼、すなわちジョーの身分を語っていた。
「『運命の戦士』」
運命の戦士ジョーは、彼を労わるように、優しく言った。
「あなたにあった、医師としての誇り。それが、純粋に人の幸せを思う気持ちを上回った。
ゆえに、このような結末に至ったのではないだろうか」
「おっしゃるとおりです。この身を恥ずかしく思います」
消え入るような声で話すソーンに対し、ジョーの声はあくまで優しい。
「あなたのとった方法では決して得られなかった彼女の幸せが、彼女の命を奪うことでもたらされている。
皮肉な話だ。しかし」
「しかし?」
一呼吸置いて、ジョーは言った。
「彼女が病で死したままなら、二度と味わうはずのなかった幸せ。それを今しがた、彼女は味わえた。
ならば、あなたのしたことも、無意味ではなかったのかもしれない。
そこに彼女への愛情があったことを否定する者も、誰一人いないはずだから」
涙を流しながら、ソーンは笑顔を見せた。
「ありがとうございます、戦士様。救われる思いです。
叶うなら、もう一度やり直したい。ですが、もうそれもできません。
最後にこうして話せたことが、私にとって何よりの救いです」
するとそこで、ジョーがこんなことを口にする。
「ならば、やり直してみるといい」
「え?」
ソーンには、何を言われたのか、ただちには理解できなかった。
「今の気持ちがあれば、この先何だってできるはずだぜ。人の力は無限だ」
そう言いながらジョーは、兜の面頬を上げた。
「あ、あなたは」
驚くソーンに、ジョーは白い歯を見せて笑った。
そして彼は、ささやくように唱えた。
「Whole Force」
「Whole Force」、すなわち「全き力」。
呪文であるらしいが、ソーンの知識にはそのような呪文はなかった。そもそも呪文だとすれば、呪文名に先駆けた、八つの魔法記号の詠唱がない。
彼はいったい何をしたのだろうか。
ソーンの疑問は、しばらくしてようやく氷解した。
いつの間にか自らの傷や痛みが綺麗に消え去り、体力もすっかり回復していたのだ。
いつ治したのかも気付かせないほどの、瞬間的な措置。
医術はもちろん、ソーンの知るあらゆる治癒の呪文でも、こうはいかない。
運命の戦士ではあっても、ここまでの力を使いこなせるものなのだろうか。
ソーンは畏怖の念すら感じつつ、ランス達のもとへと歩いていくジョーを見つめていた。
まずジョーは、クローディアのもとへ歩み寄った。
「『運命の戦士』殿、なぜここに」
天を突くような戦士を見上げるクローディア。
その姿は艶やかな黒。だがその出で立ちは、彼女の目にはとてもまぶしく、そして神々しく映った。
彼は再び面頬を下ろしていて、素顔が見えない。そのため彼女はやはり、彼の正体がジョーだとは気付いていない。
ジョーは、クローディアの敬服のまなざしを受けながら、穏やかに答えた。
「清き思いを助けるために」
そして再び、腕を一振りする。
そのわずかな瞬間で、ソーンの時と同様、クローディアの傷も完治させた。
そのあまりの鮮やかさに目を見張る彼女に、ジョーはこう言い残し、そしてランスのもとへと向かった。
「抗し難い運命の壁を打ち砕いて、未来を拓くために。
『運命の戦士』は常に、そのためにある」
ランスはユリの亡骸を抱いて、泣き続けていた。
そこに、静かにジョーが声をかける。
「よく頑張ったな、ランス」
ジョーの声に、ランスはようやく顔を上げる。
そこにあったのは、ランスにとっては馴染みの深い姿。肩を並べて歴戦を切り抜けてきた友の勇姿が、そこにあった。
ランスが口を開く前に、ジョーは言った。
「後は任せろ」
そして、ランスの肩にそっと手を置いた。それで、全ては終わった。
傷が癒えたことに気付いたランスは、ユリに視線を戻す。
するとどうだろう。そこには、ランスを見つめるユリの眼差しがあった。もちろん彼女の傷も、もともとなかったかのように癒えている。
感極まって見つめ合う二人に、ジョーは告げた。
「魔物を下敷きにしたのではないユリ自身として、肉体と精神を再構成した。
もう、魔物の意思とは無縁で生きられる。もちろん生前の病も関係ない。
せっかくだから、肉体の強靭さはそのままにしておいたがな」
ジョーは、クローディアが使いたくても使えなかった蘇生の術を超えた、何らかの処置を施したのだ。
あらゆる魔法の呪文を超えた何か。奇跡というほかはなかった。
彼はユリにこう言った。
「ただし、その力を正しく使える強い心を養うのは、ユリ自身の仕事として残した。
俺は、それができると信じている。夢を果たせ。頑張って、いい英雄になれ」
ユリは、再び穏やかな時を得られた奇跡を噛み締め、一筋の涙を流しながらはっきりと答えた。
「はい!」