第12回
光風暦471年5月12日:新しい旅へ
不敵に立ちつくす、黒い鎧の男。
「何者だ」というエブリットの問いに、答えはない。
だがその男がただ者ではないことは、エブリットも含めた全員が否応なしに悟っていた。
天を衝くような大男だった。
ジョーも非凡な長身だが、この男はそれ以上に大きく感じられた。
素顔は伺い知れないが、全身から巌のような威厳を漂わせている。
普通の者が素顔を隠したところで、決してこうした雰囲気は醸し出せない。
加えてその鎧。
普通の鍛冶が作ったものではないと、一目で分かる。
この時代にしては特殊と映る、その直線基調の形や、それでいて厚みのある質感が、魔力のような圧倒感となって見た者に伝わるのだ。
エブリットの剣のように魔力が光を放つようなことはないが、秘めた力の強さをひしひしと実感できる。
その姿に一同は確信することになる。長が握る剣の主がこの男なのだと。
そして。
「まさか、いや、そんなはずは」
エブリットは、動揺を押し隠せずにつぶやく。
何を思っているのだろうか。
この男のことを知っているのだろうか。
彼の視線が、ふと男のマントに向いた。
そしてその時、エブリットは愕然となり、大きく目を見開く。
「『運命の戦士』! な、なぜこのような所に!?」
背中へとたぐられた男のマントに、竜の顔をかたどった紋章が、小さく刻まれているのが見えた。
それが意味するところは、エブリットでなくとも、この世界に生きる人々は皆、知っている。
神とも互するほどの力量を持つ究極の戦士、「運命の戦士(フェイタル・ウォーリアー)」の紋章なのだ。
長との一戦に続き予想が狂ったエブリットは、完全に浮き足立った。
町の住人達も、間近に「運命の戦士」を認めたことでざわめき立つ。
神の眷属であるクローディアすらも、驚いてじっと男を見つめている。
しかしその様子を、ランスは一人、冷静に見つめていた。
彼だけは知っていた。その男の正体を。
「(待っていたよ、ジョー)」
セイリーズ・ジョージフ・ドルトン。
それは、仲間達とともに、神と戦って打ち勝った勇者の名。
世界有数の強国「フォルテンガイム連合王国」の構成国、ゼプタンツ王国の国王にして、生きながらに伝説を築いた大英雄。
それこそがジョーの素性だった。
身につけているのは、主神オーゼスから授かった「勝者の防具」。
レイザンテの長が手にしている「勝者の剣」と対をなすものだ。
それをまとったジョーを目にするのは、ランスも久しぶりだった。
しかし、ジョーが一回り大きく見えるのは、その鎧のためだけではない。
むしろ彼の持つ威厳が、そう見せているのだ。
必要がない限り決して剣を抜くこともなく、およそ英雄とはかけ離れた言動をとるジョー。
そんな彼が密かに見せた、真の力の片鱗。
それは、エブリットをこの場から退散させるに十分なものだった。
「運命の戦士」と相対するには心の準備が乏しすぎたエブリットは、剣を下ろし、呪文を唱えた。
そして憎々しげに黒い鎧の戦士を見据えながら、それがジョーだと気付くことのないまま、跡形もなく姿を消した。
「やった!」
「クローディア様!」
エブリットを追い払いクローディア達を助けられたことで、レイザンテの住人達はどっと歓声をあげて、クローディアやランスを取り囲んだ。
「なぜ……私のような者を、このような危険を冒してまで」
涙声のクローディアに、住人達が口々に答える。
「ジョーさんのおかげです」
「正しいことは何か、そして、迷わずに正しいことをなす勇気を、ジョーさんに教わったんです」
「助けに来て、本当によかった」
クローディアは、とびきりの笑顔を見せながら、涙を流した。
長が前に進み出て、クローディアに語りかける。
「私達はあなた様に、許されない無礼を行いました。
そんな私達が、これで許されるはずもありません。
ですが、あなた様がご無事で、本当によかった。それだけは申しあげたいのです」
クローディアは、涙をぬぐいながら、首を横に振る。
「許されないなどということが、どうしてあろうか。
これほど人の心が胸に染みたことは、今までなかった。
皆こそ、あのエブリットと戦って、無事で本当によかった」
「それは、あの方や、あの方の剣のお陰です」
と言って、振り向く長。
しかしそこには、鎧の男、ジョーの姿はなかった。
誰にも悟られることなく、彼もまた、この場から去っていたのだ。
「いったいどこに?」
と一同が辺りを見回していると、入り口のほうから、拍子抜けするような明るい声が響いてきた。
「よう。一同、無事で何より!」
脳天気に笑いながら、手を挙げて現れたのは、ジョーだった。
町で着ていたのと同じ服で、もちろん丸腰。
先程までの重厚な雰囲気など、微塵も感じられない。
ランスですらも、鎧をまとったジョーと同一人物なのかと疑うほどの変わりようだ。
ましてや他の人々に、つい先刻までここにいたなどとは分かるはずもない。
長が呆気にとられて、思わず尋ねる。
「ジョーさん、なぜ……ここに?」
「いやぁ、無事にあの男を追っ払えてるか、見に来たんだ。
うまくいったみたいで、よかったよかった」
初めは呆けていただけだった長だが、あまりに口調が軽くて元気なジョーに、やがて拳を作ってわななき始める。
「ジョーさん、傷はどうしたんです。
エブリットや魔物達にやられた傷は」
そんな様子に構わず、ジョーは、あっけらかんと答える。
「ん? ああ、あれか。
あんなもん、大したこたぁねえさ。実際のとこ、動けないってほどじゃねえ」
長の顔が、怒りで真っ赤に染まっていく。
「……それなのに、私達に剣を託して送り出して、あなたはのんびり追いかけてきたのですね」
「ん?」
初めてジョーは、長の様子に気付いたようだ。
いつの間にか、住人達にも取り囲まれている。
「そこに直りなさい。その性根、叩き直してやりましょう」
「ちょ、ちょっと待て。話せば分かる。うわ、わっ!」
長や住人達が、一斉にジョーに飛びかかった。
「や、やめろっ、怪我人に何てひどいことを!」
「黙れ悪党め! 本当に動けなくなるまで、痛めつけてやるっ!」
しかし、そんなことを叫ぶ長も住人達も、表情は明るく、そして昔以上に楽しげだった。
そうした和やかなような恐いような光景を見ながら、クローディアはランスと話していた。
「町の方々の表情を見て、分かった気がする。
ジョーは、初めからこうなるように仕向けていたのだな。
この出来事を、より根本的なことから解決できるように」
ランスは、笑顔で住人達を見ながら答える。
「さて? どういうことかな」
「町の人々に見限られた私がエブリットにさらわれたとき、ジョーはきっと、あなたと二人だけでも、何とかして私を助けることができたはず。
しかし、それをあえて町の人々にさせたのだ」
ランスは、無言で微笑んでいる。
「町の人々にあった迷いを晴らし、そしてなおかつ、彼らと私との心の溝を埋めるために。
そうであろう?」
「さあ、どうだろうね?」
クローディアはその答えを聞き、そして自分に向けられた笑顔を見て、深々と低頭した。
心からの感服の念ととともに。
ジョーの正体に気付くことはないクローディアだったが、彼の「心」は汲み取れたようだった。
そしてしばらく沈黙して、彼女は意を決して言った。
「あなた達の旅に、私も同行させていただけないだろうか」
ランスは、いささか面食らったが、すぐに答えた。
「いつ終わるか分からない旅だけど、いいのかい?」
「構わない。あなたやジョーと一緒にいると、今より大きな存在に成長できそうな気がするのだ」
ランスは、嬉しそうに微笑んだ。
「うん。それじゃ、これからよろしくね」
「ありがとう。こちらこそ、よろしく願いたい」
そして二人は笑顔のまま、楽しそうに騒ぐ住人達やジョーを見つめ続けていた。
「うわたたた、やめろっ。いて、いてて!」
「まだまだこれからだ。反省しなければ、この剣で、貴様を切り刻んでくれよう!」
「おわっ、危ねえ! 危ねえから、そんなもん振り回すな!」
「私達にこのようなものを渡したのが、運の尽きだ。そこに直れ!」
「その台詞、お前らのほうが、よっぽど悪党だぜ。
……って、だから振り回すなって!」
三人の新しい旅が、始まろうとしていた。
「クローディア様も、一緒にこの悪党をこらしめてやりましょう! お願いしますよ!」
「だから、その台詞も悪党丸出しだって! ……いて、いてっ!」
-完-