第10回
光風暦471年5月12日:戦いの果てに
「えっ!?」
ランスの名乗りに、クローディアが思わず声をあげて驚く。
エブリットも、努めて冷静を装っているが、やはり動揺の色は隠せない。
救世者(セイビアー)とは、戦士に贈られる称号の名前だ。
称号は6つ。下の階位から並べて、凱旋者(トライアンファー)、勇者(ヴァリアント)、英雄(ヒーロー)、豪傑(ギャラント)、そして救世者。
もはやこの上には、神のごとくに見なされる、運命の戦士(フェイタル・ウォーリアー)の階位しかない。
すなわち救世者とは、傑出した大英雄のみが持ちうる称号なのだ。
全世界でも200人ほどしか存在しない救世者は、その武術か魔術において、他者を寄せ付けないほどの技量を持つ。
小山のように巨大な竜をすら、易々と屈服させるほどの力を持っていると言われる。
目の前の優しい顔立ちの青年がそれほどの存在だったということは、彼を見つめる二人にとって、想像の範疇の外にある事実だった。
「救世者のランス・ダーウィン。
フォルテンガイム連合王国の、救国の英雄の一人ですか」
「知っているんだね、僕の名前を」
背中の剣の柄に手を回したまま、エブリットの問いに答えるランス。
よく見れば、そのたたずまいには隙がない。一流の戦士でなければ持ち得ない、戦いに対する慣れのような気構えのような、そうした何かが感じられた。
「ええ。フォルテンガイムの英雄の話は、有名ですから」
というエブリットの言葉を聞きながら、クローディアも同じことを心の中でつぶやいていた。
フォルテンガイムの「運命の戦士達(フェイタル・ウォーリアーズ)」。
荒ぶる神に立ち向かい、世界の危機を救った英雄達だ。
かつて、邪悪な異世界神の力を受けて、第二位神ゼイバラルが暴走したことがある。
それに対して立ち上がったのが、今いる国の隣、フォルテンガイム連合王国の戦士達だった。
「運命の戦士」でもある時の騎士団師団長バートラムを筆頭に、多くの勇者達が集い、長い戦いの末に暴走を鎮めたという。
この英雄譚は、世界中の人々の知るところとなっている。
その音に聞く勇者が、いま長剣を抜き放ち、青眼に構えをとった。
「その噂で恐れをなして立ち去ってくれると、ありがたいんだけどね」
「そうしようかとも思いましたがね。
でもそれは、あなたの実力を見てからです」
エブリットに脅しは通じなかった。
彼は剣を腰だめに構え、ランスに向かって立つ。
これだけで、二人の戦いの準備は整った。
次の挙動で、戦いが始まる。
しかし、どちらが勝つのか。
少なくともクローディアには、先の展開がまったく分からなかった。
そして数瞬の後、エブリットがわずかに身を沈め、戦いの火蓋が切って落とされた。
「では、いきますよ」
電光のような足捌きで、ランスに向かって飛び込むエブリット。
左腰の脇まで引いていた魔法の剣を、ランスの首めがけて一気に斬り出す。
まぶしい光の粉を舞わせながら、刀身がランスの首筋を捕らえようとする。
しかしランスは上体を後ろにそらしつつ、絡めるような動きで、自らの長剣をエブリットの剣に合わせ、動きを封じる。
そして同時に体をそらした動作に乗せて、鋭い蹴り上げをエブリットの腹へ放つ。
だがこれはエブリットに見切られ、蹴りが届く寸前に跳びすさられた。
距離をとった二人は、しばらく動きを止めて向き合っている。
互いの隙をはかっているのか。
否、互いの力量をはかっているのだ。
やがて、エブリットがその結果を口にした。
「さすがにやりますね。ですが、これならば私が勝てそうです」
クローディアの背筋を、寒いものが走る。
互角に見えた打ち合いだったが、潜めていた余力に差があったのか。
エブリットの言葉は、クローディアとしては認めたくないものだったが、ランスの表情を見てもそれを認めざるを得なかった。
そのランスは。
「かもね。でも、ここで逃げ出すわけにもいかないしね」
そう言って、今度は自分からエブリット目がけて飛び込んだ。
そして手にした長剣を、鋭い風切り音をたてながら振り下ろす。
その動きは、先程のエブリットの動きより、はるかに鋭い。
だがこの一撃も、エブリットに見切られてしまった。
エブリットは、目にも留まらぬ足捌きでわすかに右に跳んで剣をかわし、上体を左にひねりつつ横なぎの剣撃をランスに見舞った。
ランスもとっさに剣で受けるが、体勢に無理があったかその勢いを削ぎきれず、弾き飛ばされて壁に体を強打した。
「ランス!」
倒れ込むランスに、クローディアが駆け寄る。
「大丈夫。だけど……このままだと、ちょっとまずいかな」
咳き込みながら、ゆっくりと起きあがるランス。
その動きから、かなりの打撃を受けたことが見て取れる。
クローディアも、ランスと並んでエブリットに対して戦いの構えをとるが、今の一撃を見て形勢の不利を実感していた。
これからどうする。
負けると分かっていても、戦うしかない。なぜなら、逃げ場はないのだから。
それに、こんな男に負けたくない。
このまま屈服するのは、悔しすぎる。
勝ちたい。無理だと分かっていても。
だから戦うのだ。
そうして、ランスやクローディアが、苦渋の決断を下そうとしたそのとき。
エブリットの背後から、大勢の足音が聞こえてきた。
一人や二人ではない。
何十人が走る音が響いてくる。
加勢が来たかと、いよいよ諦めの境地に達したクローディア。
そしてランスも、捨て身の戦いの覚悟を決めた。
だが。
その人の群れから、覚えのある声が聞こえてきたのだ。
「クローディア様、ランスさん! 助けにきたぞ!」
ランスもエブリットも、そしてとりわけクローディアも驚いた。
その声は、レイザンテの長の声だったのだ。