第8回
光風暦471年5月12日:聖者の力
クローディアは、ランスとともにエブリットに捕まった後、その身柄を洞窟の中に移されていた。
レイザンテの町から少し離れた、山中の洞窟。
その中に作られた牢へ、二人は押し込められていた。
彼女達の扱いは完全に虜囚そのもので、抵抗しないように武器も奪われている。
もっとも、クローディアはそうされずとも、抵抗することはなかっただろう。
牢の片隅に膝を抱えてうずくまり、顔を上げることすらないまま、ただただ時が流れている。
無理もないことだ。
不慮の事故のせいで守ろうとした町の住人に見限られ、さらには、短いながら一緒に時を過ごしたジョーが眼前で絶命するのを見たのだから。
悲しみに打ちひしがれる彼女を見て、ランスは胸が傷んだ。
ランスはやがて、クローディアに声をかけようとする。
だが、漂う重い雰囲気にためらいを感じ、なかなか口が開けない。
それでも彼は、思い切って声を発した。
「ねえ、クローディア」
ようやく、クローディアが少し顔を上げた。
だが、まだランスと目を合わせることはできない。
「どうしたのだ、ランス」
彼女の声は、ためらいがちのランスの細い声よりも一層小さく、この静かな部屋の中ですら消え入りそうなほどだった。
ランスは再び声を継げなくなりそうになる。それでも、やっとのことで続けた。
「悲しいけど、このままじゃいけないよね」
「うむ。ランスは、何とかして機を伺って、ここから逃げてほしい。
しかし私は、このままここに残る」
「だめだよ、そんなの」
すっかり消沈したクローディアに、叫ぶようにランスが言葉をかける。
「いや、それがよいのだ。私が逃げれば、またどこかでこうしたことが繰り返される」
「またあいつらが追って来るって言うの? でも、だったら、やっつければいいじゃないか」
「あの男、エブリット・リージの力は見たであろう。抵抗すればするほど、周囲に甚大な被害をもたらすはずだ」
取り付く島がないクローディアの様子に、ランスは悲しそうにうつむいてしまう。
それでも、彼女に声をかけることはやめなかった。
このままだと、彼女が悲しみのあまり自滅してしまいそうだったから。
「ねえ、クローディア。どうして、あいつらがしつこくクローディアを狙うって思うの?
その、クローディアは綺麗だけど、それだけで……そんなにしつこく狙うわけじゃないと思うし」
その言葉でクローディアの頬がかすかに緩むが、すぐにもとの様子へと戻って、彼女はこう答えた。
「あの男は、私の力を欲している。以前からずっと」
ランスは、いささか驚きつつ問い返す。
「以前からって。本当なの?」
「うむ。私が西のアリミアにいた頃から、ずっと。
何度となく、捕まりかけてきた」
「そうだったんだ」
ランスは固唾をのんで、少しの間を取って問い直した。
「でも、どうしてそんなにクローディアの力を欲しがるの?
クローディアが『西方の聖者』だから?」
そう訊かれたクローディアの答えは、こうだった。
「いや、私が人間ではないからだろう」
「人間ではないって、でも、どう見てもクローディアは人間だよ!?」
クローディアは視線を上げて、ランスを寂しそうな眼差しで見つめ、首を横に振った。
「私は人外の者、『人造魔神』だ」
ランスは、クローディアを見つめたまま、声を出せないでいる。
クローディアは、そのまま続けた。
「アウドナルスという帝国の研究施設で、私は作り出された。
この世界を滅ぼすために、異界の神に仕える人の手によって、神の能力を与えられて作り出された。
4体の試作の結果、5体目として作られた『人造魔神』。人の形をした破壊兵器。
それが私の正体だ」
ランスは、無言で彼女を見つめ続けている。
「理解いただけたか、ランス。
このような私に関わり続けると、私の力を狙う者達によって、あなたの身も危なくなる。
そう……あなたの友だったジョーのように」
ランスを見つめる彼女の目から、一筋の涙が流れた。
「それに、私自身の力が、あなたに害を及ぼすかもしれぬ。
だから、私のことは捨て置かれよ」
ランスは、うつむいて腕組みをした。無言で、眉間に皺を寄せて。
そして、やがてゆっくりと立ち上がって。
にっこり笑った。
「捨て置く? そんな必要はないよ。からっきしね」
涙を頬に伝わせたまま、クローディアは目を丸くしてランスを見上げる。
「実はね、アウドナルスの『人造魔神』のことは、ある人から聞いたことがあるんだ。
クローディアが試作と言った、別の『人造魔神』のことだけどね。
いい奴だったって、その人は言ってたよ」
クローディアは、なおも目を丸くして驚いた。
「他の『人造魔神』を…ご存じなのか!?」
「うん。アリューシャって名前の女の子だって、その人は言ってた」
その名は、クローディアの知る他の『人造魔神』の名と一致していた。
『人造魔神』の最初の試作体として作られた「アリューシャ」は、「運命の戦士」という、最高位の称号を持つ英雄達に出会い、彼らと投合したという。
ランスの言うことに、嘘や出任せはないようだった。
もっとも、なぜ一介の冒険者のランスがこのようなことを知っているのかには、彼女はかすかな疑問を抱いたが。
「それにクローディアだって、世界を滅ぼしたいって思ってはいないんだよね?
だったら何も問題ないよ」
「しかし。しかし私は、結果的にジョーを……殺したのだぞ」
驚きのあまり混乱している思考を必死で整えながら、意地になって自分をおとしめ、自らを否定する要素を導き出そうとするクローディア。
だが、この言葉にもランスは微笑みを返した。
ちょうどその頃、レイザンテの町のある家で、一組の男女が声を潜めて話し合っていた。
「これほどうまくいくとは思わなかったぞ」
「大成功ね。まったく、人間とはつくづく愚かな生き物よ」
男は、先の事件で妻を殺された人物だった。
だが、その顔に悲しみの色はなく、代わりに満面の笑みを浮かべている。
そして、あろうことか女の方は、殺されたはずの彼の妻、パメラその人だった。
「『私達に素直に従わないクローディアへの仕打ちとして、奴から味方を全て奪え』と、エブリット様は仰せだったが。まったくうまくいったものだ」
「本当。おとといクローディアが『自分は人間ではない』とか言ってくれてたおかげで、人間どもはクローディアへ無意識に恐怖を抱いていた。そこを突いて」
「ああ。昨日クローディアが魔法を使ったときに、巻き添えをくって死んだ振りをしたというわけだ。まったく大した役者だったぜ、『パメラ』」
「もう。その呼び方はやめてよ。人間なんかの名前で呼ぶのは」
二人は笑って、次の瞬間、姿を変えた。
それまでかけていた、変身の魔法を解いたのだ。
二人の正体は、最初にレイザンテの町を襲った悪魔と同じ、レッサー・デーモンだった。
嬉しさのあまり、背中に生えた鈎爪のある翼を広げて笑い合う二人。
人間を、そしてクローディアを陥れて、これほど楽しいことはないという按配だった。
しかし次の瞬間、彼らの笑いは凍り付く。
なぜなら。
「よう」
いつの間にか、戸口に男が寄りかかっていたのだ。
それは、エブリットが仕留めたはずの男。
ジョーだった。
「大丈夫。ジョーは生きてるよ」
微笑みとともに返したランスの答えに、クローディアはさらに驚いた。
「えっ!?」
「あの直前、ジョーと約束したんだ。『しばらくの間』クローディアを守るってね。
ジョーは約束は破らない。もうすぐ、絶対会える。
長い付き合いだから分かるんだ。
だから心配しないで」
そしてランスは、クローディアに手を差し出した。
クローディアが恐る恐るランスの手を握ると、ランスは彼女をぐっと引き起こした。
その力は、クローディアが思っていた以上に強く、そして優しかった。
「ここで落ち込んで投げやりになってたら、それこそ、あの男の思うつぼだよ。
だから反撃開始だ。もう一度ジョーに会うためにも。いいかい?」
しばらく呆然としていたクローディアだったが、だんだん目に生気が戻ってきた。
そして、力強くうなずいた。
「かたじけない、ランス。
ランスがいなかったら、私はこのまま自滅して、エブリットの手に墜ちるところであった。
かくなるうえは、『人造魔神』を敵に回したことの愚かさを、あの男に思い知らせてくれようぞ」
「そうこなくっちゃ」
ランスは、楽しそうに笑顔を見せて、牢の扉に向かい合った。
「それじゃ、いくよ。
物を壊すのは嫌いだけど、今だけは」
そして手刀を作りつつ構えをとって、その手を扉に向かって一閃した。
結果、扉は、クローディアが目を見張るほどの鮮やかさで割られ、その役目を終えた。
「馬鹿な!」
「貴様は死んだはずだ!」
陳腐な台詞を吐いて、うろたえる悪魔。
「生憎だったな。俺様は、昔っから打たれ強さだけは人一倍でよ。
あの一撃は確かに効いたけど、それでもまだまだ生きてるぜ」
あの一撃は、悪魔自身ですら、受ければ確実に絶命していた。それを人間が受けて生きているとは。
この男、化け物か。
悪魔達は、顔色を失って後ずさった。
そんな悪魔を見ながら、血糊のついた口元を拳でぬぐって、ジョーはにやりと笑った。
「おめえら、これから見せてやるぜ。
人間様のすげえとこをよ」