第7回

光風暦471年5月12日:来訪者

 夜が明けて、三人は身支度を整えていた。

「どうだ、体はどこも痛まねえか」

 自らの体をほぐしながら、ジョーがクローディアに尋ねる。

「ああ。一応、慣れているから。心配かたじけない」

「ん。上等だ」

 微笑んで応えたクローディアに、ジョーも笑顔で応じる。

「しかし私は、今日にはここを離れなければならない。

ジョーとランスは、これからどうするのだ?」

「え、僕達?」

 不意のクローディアの問いに、ランスは面食らって答えに詰まる。

 そしてランスは、視線をジョーに投じる。

 するとジョーは、にかっと笑った。

「町に戻る。これから面白いことが起きるんでな。

クローディアも付き合ってくれ」

「え?」

 今度はクローディアも面食らった。

 しかしジョーは、お構いなしに町へと歩き始める。

「ちょっと待ってよ、ジョー」

 とランスが訊くが、ジョーは無頓着に答える。

「いいからいいから。ランスも行くぜ」

「いいからって。ねえ、面白いことって、いったい何なんだい?」

 と問いを重ねると、ジョーは一度振り返って、元気よく言い切った。

「お客さんが来るんだよ。

そいつに礼をしなきゃなんねえんだ」


 果たして、ジョーの宣言は当たっていた。

 町に入ると、ただならぬ空気が立ちこめている。

 そして、一角が妙に騒がしい。

「ねえジョー。お客さんって、あそこにいるの?」

 その一角に向かいながら、ランスが尋ねる。どうにも腑に落ちない様子だ。

 クローディアも、浮かない顔をしつつ後に続いているが、その目がランスと同じ感情を物語っている。

 しかしジョーはそんな二人の様子を意に介さず、ただ一言、平然と言った。

「おう。とにかく行くぜ」

 そして三人が行き着いた先には、町の住人のほとんどが出揃った人だかりと。

 数人の部下を連れた細身の男がいた。

「あの人がそうなんだね」

「おう」

 自信たっぷりに答えるジョーに、クローディアがいぶかしんで尋ねる。

「ジョーは、あの男のことを知っているのか?」

「知らん」

「そ、そうか」

 力いっぱい言い切るジョーに、クローディアはいささか気勢を削がれたようだった。しかしなぜか、同時にほっとしたようでもあった。

 一方で当の男は、町の長とこんな問答を交わしていた。

「いい加減に、彼女を差し出したらどうですか。物分かりの悪い人は、私は好きではありません」

「だから、何度言ったら分かるんだ。クローディア様は、もうここにはいないんだ」

「そうですか。あくまでそう言い張るのなら、この町を壊し尽くしてあげましょう。

どこかには潜んでいるはずですから」

「だから…言っただろう。私達が…クローディア様を追い出したんだ」

 そう言う長の顔は、良心の呵責ゆえか、とても苦しそうだった。

 その横顔を目の当たりにしたクローディアは、うつむき加減だった顔を上げると、しっかりした足取りで、前に進み出た。

「いや、私はまだここにいる」

「クローディア様!?」

「ほう、やっと出てきましたか」

 戸惑う長達をよそに、男はうっすらと笑みを浮かべた。

「いらっしゃいませ。このエブリット・リージ、ずっとお待ちしていました」

 エブリットと名乗ったこの男は、改めて見るにつけ美しかった。

 緩やかに流れる、薄い茶色の長い髪。

 涼やかな、切れ長の目元。

 筋の通った、程良く高い鼻。

 そして、その顔立ちに引けをとらない引き締まった体格。

 優れた容貌ではジョーも負けてはいないのだが、美しさの方向性が異なる。

 精悍なジョーに対し、優美さを強く感じさせる。

 しかし、クローディアの表情は険しい。

 そんな美しい彼を、無言で睨み据えている。

 不自然なほどの敵意すら感じられる。

 だがエブリットは、そんな様子を気にもかけない。

「クローディア・グランサムさん。突然ですが、あなたに選択をしていただきます」

「選択?」

「おとなしく私達に身柄を委ねるか、抵抗して私達に町を破壊されるか。二つに一つ、選んでいただきます」

 穏やかな話し方だったが、有無を言わせぬ威圧感が秘められていた。

 実際に抵抗すれば、この町は全て破壊されてしまうだろう。

 彼にそれだけの力があることは、この場の全員が既に悟っていた。

 それほどまでに、彼から伺える威圧感はすさまじいものだったのだ。

「ランス」

 少し下がったところで、ジョーがランスに小声で話しかけた。

 ランスも小声で応える。

「どうしたの、ジョー?」

「しばらくの間、クローディアをそばで守ってやってくれ」

「え……う、うん。でもジョーはどうするの?」

「ここに残って、この一件にきっちりケリをつけさせる」

 そこまで言うと、ジョーはランスから少し離れた。

「さあ、早く決断してください。

ここまでで相当じらされているのです。長くは待ちませんよ」

 エブリットは笑顔を浮かべているが、場は凍り付くかのような緊迫感に支配されていた。

 声を潜めた会話が、あちこちでなされている。

「おい、どうするんだ」

「どうするって。いったい、どうできるっていうんだ」

 あれほど冷たい態度をとった住人達も、クローディアに対して迷いを感じているようだ。

 しかし、行動を起こせる者はいない。皆、一様に萎縮してしまっているのだ。

 加えて、仲間を殺されたからという遺恨めいた気持ちもあって、誰一人として動く者はなかった。

 その様子を見たエブリットは、与し易しとばかりにクローディアへ歩み寄る。

「おとなしく私達のところへ来たらどうですか、クローディアさん。

あなたに味方する人もいませんし、あなたを必要とする人もいないようです。

ならば、迷うことなどありますまい」

 クローディアの表情がかげる。とても悲しそうに、悔恨の念にかられながら、うつむいている。

 しかし、エブリットがクローディアに手を伸ばそうとしたとき。

 住人の輪を抜けて、ジョーが一歩前に踏み出した。

「ほう」

 エブリットが感心したようなそぶりを見せる。

 住人も、勇気ある男の出現に、かすかに色めき立った。

 ジョーは、憤怒の形相を見せている。

 長身のジョーのそうした風貌は、轟きの音が聞こえてくるのではと思わせるほど、すさまじい迫力を具えていた。

 彼はずかずかと前に進み出ると、エブリットと触れあうほどの距離で向かい合った。

 一触即発の状況に、クローディアや住人達が息を飲む。

 そして人々の視線を一身に受けたジョーは、エブリットを睨み据えて、ゆっくり口を開いた。

「すけべい」

 一瞬の間。

 あまりの言葉に、皆、呆気にとられて声も出せない。

 しかし次の瞬間、薄笑いを浮かべていたエブリットの表情が一変した。

 と同時に、ジョーが血を吐きながら弾け飛んだ。

 それまでの冷静さをかなぐり捨て、我を忘れて怒り狂ったエブリットが、閃光のような拳の一撃をジョーに放ったのだ。

 その場の誰一人として動きを見切れなかったほどの、すさまじい一撃だった。

「ジョー!」

 クローディアが叫んで、ジョーに駆け寄る。

 しかしジョーは、ぴくりとも動かない。

 おびただしい量の出血が、地面を染めていく。

「おのれ、何という下世話な」

 エブリットは、眉間にしわを寄せて吐き捨てた。

 が、やがて我に返り、刺すような眼差しでクローディアを見据えた。

「私としたことが取り乱すなど、みっともないことではありましたが。

クローディアさん、そのような屑など捨て置きなさい。

そして、私達と一緒に来てもらいます。

逆らわないほうが得策だということは、その骸を見ればお分かりいただけますね」

 そしてクローディアは、半ば無理矢理に、その場から連れ去られることになった。

 胸が張り裂けそうになりながら、動かないジョーを残して。