第1回

光風暦471年5月31日:雨の中の出会い

 今日の道中は雨続きだ。

 今までの天気がよ過ぎたという見方もあるが、雨の中の旅はいささかこたえる。

 外套を羽織った三人の旅人が、ぬかるんだ道を歩く。

「道も水たまりだらけだね。雨があがるまで、イルバランでゆっくりしてたほうがよかったかな」

 三人のうち、茶色く短い髪の、優しそうな顔立ちの青年が肩をすくめた。

 それに対して、彼の傍らを歩く、逆立った金髪の巨漢が答えた。

「まあ、これはこれで味なもんだぜ、ランス。

クローディアもいいって言ってんだから、のんびり雨を楽しんで行こうぜ。

な、クローディア」

 雨に降られながらも気楽に答えた男の名はジョー。

 メイナードという戦士の行方を追って、ここレグナサウト王国を旅している。

 彼の正体は、隣国フォルテンガイム連合王国の構成国であるゼプタンツ王国の王にして、その力は神にも匹敵すると誉れも高い「運命の戦士」の一人である。

 しかし平素の行いからは、それ相応の風格は伺えない。大らかで豪放な性格だからなのか、あるいは意図的に正体を隠しているからなのかは分からない。

 いずれにしても、ジョーが話しかけた残る一人である銀髪の少女クローディアは、その正体を知らない。

「うむ。常に晴れた日ばかりではない。全てを受け入れることもまた、大切なことだ。

天気ばかりではない。生きることもまた然り」

 見かけはあどけない少女なのだが、その物言いはまるで老いた聖人のようだ。

 初めて出会う人は皆、彼女の見かけと言動との違いに驚かされる。気にした様子を見せなかったのは、ジョーぐらいのものだ。

 彼女は「西方の聖者」と呼び慕われる聖職者。そして人ではなく、神の眷属である。

 人造魔神と呼ばれる彼女は、人の手によって作り上げられた、神の特質を備えた存在である。

 その真の力は未知数であり、一度はその実力の一端を強力な魔法という形で示したが、彼女自身はその力を嫌っている。そして自らが「聖者」であることにはともかく、神であるということについては触れたがらない。

 そして今もこうして、すっかり人として旅をしている。言葉遣いは常人離れしているが。

「それはいいけど、風邪はひかないでね」

 ジョーにランスと呼ばれた青年が、クローディアを気遣う。

 彼女は自らの長い銀髪を濡れるに任せ、まったく意に介していない様子だが、やはり端から見れば気遣いの言葉もかけたくなるものだ。

 もっともランス自身も、自分が濡れていることは気にしていない様子だ。

 ランスは背中に大きな剣と盾を負っていて、三人のうちでは一番の重装備をしている。

 ただ、その顔立ちはとても穏やかで、およそその剣を抜いて戦うようには見えない。

 しかし彼にもまた、日頃の姿からは想像し難い正体がある。

 彼の正体は、「救世者」の称号を持つ、世界中でも屈指の腕を持つ戦士。かつて「運命の戦士」ジョー達とともに、神との戦いに身を置いた英雄の一人だ。

 つくづく、見かけとは裏腹な正体を持った一団である。

「ありがとう。体は頑丈だから、心配は無用だ。

それに、もう町はすぐそこだ。もうあそこに門が見えている」

 心が癒されるような穏やかな微笑みを返しつつ、クローディアが指差した先には、雨に霞みながら静かにたたずむ木製の門があった。

 イルバランを出た三人が次の目的地とした、ナハルの町だ。

「ずいぶん静かな町だな」

 ジョーが、意外そうに感想を漏らす。

 ランスが、冷静に言葉を返す。

「雨だからじゃないかな。さすがにこんな天気じゃ、外を歩く人もいないはずだよ」

「それもそうか。じゃあ、さっさと宿でも探すか」

 ジョーの言葉に、ランスもクローディアもうなずく。

 そして三人は、門をくぐって静寂の町へと足を踏み入れた。


 町の中も、外から見て取ったとおり、静かなものだった。

 憂鬱な雨降りの午後。

 薄暗いたたずまいの中、ただ草葉に雨の降り注ぐ音だけが聞こえてくる。

「やっぱり、人っ子一人いないな。

イルバランじゃ、町に入ったとたんに悪ガキどもに絡まれたけど、そいつが懐かしい気持ちになるぜ。

たとえばヒューイとか、ヒューイとか、ヒューイとか」

 もともと周囲のことであまり悩んだりしないジョーだが、賑やかなほうが一応好きらしい。

 人の姿を求めて、周囲を見渡している。

 そしてその視線が、ひとところに定まった。

「お、人がいた。こんな時に畑仕事とは大変だな……」

 よく見れば確かに、少し先の道端の畑に人影があった。

 細身の若い女性のようだ。

「本当に大変そうだね……体、壊さなければいいけど」

 ランスは、その勤勉さに感心しつつ、心配そうな眼差しを注ぐ。

 そして三人が歩を進めると、彼女もちょうど畑仕事にきりをつけたのか、採った野菜を籠に入れて畑から出てきた。

 まずクローディアが、こう言いつつ彼女に会釈した。

「雨の中、お疲れさま」

 思わず頬がほころぶような優しい声に(付け加えるなら、ランスにはともかく、ジョーには決してこのように声をかけることはない)、野菜を抱えた少女も心を和ませたようだ。

「ありがとうございます。

旅の方ですね。足元の悪いところ、お疲れ様でした」

 ジョーもランスも、笑顔で会釈した。

 少女は、金色の髪をした、あどけない顔立ちをしていた。

 年の頃は、ちょうどランスと同じくらい。小柄で、とても華奢な印象を受ける。

 厚手のブラウスに長いスカート、そして白いエプロンをまとっているが、どれも雨ですっかりずぶ濡れだ。

 ジョー達三人も人のことが言えた状態ではないが、彼女は見るからに気の毒そうな出で立ちだ。

 しかし彼女は、よく通る高い声で、はきはきと続けた。

「それでは私は、この野菜をお届けしなければならない所がありますので、これで失礼します」

「おう、気をつけてな」

 と、ぶっきらぼうだが優しい声でジョーが言った。

 彼女は表情を輝かせて答える。

「はい!」

そう言いながら駆け出そうとするが、言わんことではない、さっそくぬかるみに足を取られて体制を崩した。

「危ない!」

 すかさず反応したのはランスだった。

 普段の穏やかさからは想像し難い機敏な動きで彼女の前に回り込み、そして柔らかく彼女の肩を支えた。ランスの対応がとても素早かったため、彼女も籠の野菜も無事だった。

「よかった、無事で。道がこんなだから、気をつけてね」

 と優しく声を掛けるランスを、彼女は見つめる。

「はい……ありがとうございます」

 しばらくの無言の時を経て返ってきた、吐息のような、うっとりした声。

 見れば、彼女の頬がほんのり赤く染まっていた。

 そしてすぐに彼女は我に返り、何度も会釈しながら走り去った。

 雨の中に残された三人。

 呆然としているランスの肩を、ジョーが軽く叩いた。

 飛び上がって驚いたランスは、慌てて振り返り、おたおたとその場を取り繕った。

「行くぜ」

「う、うん」

 焦るランスを見て、クローディアもくすくす笑っていた。