第6回

光風暦471年6月11日:女神の一閃

 エブリットはひとしきり、奇妙な物を見るような目でジョーを見つめ、眉間に皺を寄せながら言った。

「最高位の異世界神に喧嘩を売りに行くのですか、あなたは?」

 言外に「あなたは馬鹿か」と含めた口調だ。

「おう」

 対するジョーの答えは、その一言だった。平気そのもの、正気そのものの様子だ。

「まったく、あなたという人には、ほとほと驚かされますよ。

一柱の異世界神に、この世の神ですら翻弄されているという現実を知ったところでしょう? なのになぜ、それほど平気な顔をして、最強の異世界神と戦うなどと言えるのですか。相手の力を想像できないのですか?」

 エブリットの辛辣な言葉に、ジョーはうつむいた。

「分かってるさ、奴の強さは。何しろ一度は剣を向けたんだからよ」

 エブリットは、さらに驚いた。

「戦ったことがあるのですか、その異世界神と?」

「ああ。まるっきり歯が立たなかったけどな。

奴に手傷を負わせるどころか、どうやって負けたかすら、いまだに理解できてないほどだ」

 エブリットは再びジョーに尋ねる。今度は嘲るような口調ではない。

「よく命があったものですね。ですが、それほどまでの力量差を知りながら、なぜまた戦おうとするのですか?」

 ジョーはエブリットを見つめて、少し寂しそうに笑った。それは、エブリットが今まで見たことのない表情だった。

「理由はお前さんと似たようなもんだ、エブリット。

俺の大事な仲間達が住む町が滅ぼされてな。そこに駆けつけた俺の前に奴がいた。

その時の真相を、奴の真意を、もう一度『闘って』問いただしたいんだ」


 翌日、クローディアは再びウェインと会っていた。夕食をともにして、その時に再会を請われていたからだ。彼女とウェインが今いるのは、町外れの草原だった。心地よいそよ風が吹く中、ウェインが彼女に切り出した。

「クローディアさん。昨日は突然あのような話をしてしまい、申し訳ありません」

「いや、驚きはしたが、構いはせぬ」

 その内容については、ウェインが自ら復唱した。

「私にかけられた呪いのこと……永劫に死ねない体にされてしまったこと。その呪いの証である、私の腕の刻印。失礼を承知で、あなたには話して、そして見せておきたかったのです」

 昨夜、そのような重大な秘密が語られていたらしい。それから一晩が過ぎた今、クローディアはことさらに驚くこともなく、ここに至るまでに抱いていた疑問を口にした。

「教えてほしい。なぜ私に話そうと思ったのだ? 昨日会ったばかりの私に」

 ウェインは頬を紅潮させながら、こう白状した。

「一目見たときから、あなたには他の人にないものを感じたのです。気高さと申しますか、神々しさと申しますか。だから、話す気になったのだと思います。

そしてクローディアさんは、疑いもせず蔑みもせず、私の話を聴いてくださった。それがどれだけ嬉しかったことか、言葉にできません」

 クローディアは、そんなウェインを見て、意を決して告げた。これもまた、ここに至るまでに考え続けていたことらしい。

「ウェイン殿、あなたの気持ちが分かるゆえ、私は疑ったりはしなかった。

なぜなら、私もまた、死ぬことが定められていない身だからだ。

私は人に造られた魔神。呪われた身の上にかけては、あなたに負けはしないぞ」

 ウェインはその言葉をしばらく反芻してから、ようやく理解した様子で目を丸くした。そして次には、感極まってかすれた声でこう言った。

「あなたも、私と同じく永遠を生きる身」

 そしてよろよろと、すがるように手を差し出してクローディアに近寄ってきた。

 しかしここで、唐突に邪魔が入った。

「そこまでだぜ」

 脇から飛んできた声に二人が振り向くと、そこには腕組みをしたジョーが立っていた。いささか不機嫌そうな様子だ。

「ジョー!」

「どこへ行ったのかと思ったら、こんなところでお惚気かよ。まったく、おめでたいこったな」

 まるで逢い引きの時を旦那に見咎められたような気持ちで、クローディアは赤面して慌てた。しかしそれも一瞬のことで、つい昨日の怒りが、再び彼女の中に沸き上がってきた。

「そなたにそのようなことを言われる筋合いがあるのか。関係ないことであろうが!」

 まったくもって、逆切れにほかならない。しかし、対するジョーの言葉は、それどころでなく辛辣だった。

「うるっせえや、関係あるんだよ! 一人じゃ襲ってくる敵すらろくに始末できない奴が、いっちょまえな口きいてんじゃねえぞ」

 その言葉に、クローディアの怒りは倍増した。

「保護者気取りか、ふざけるでないぞ! そなたと会う前も、私は一人で旅をしてきたのだ。馬鹿にしおって!」

「馬鹿にしてるのはどっちだよ。いきなり行方をくらまして、こんなくだんねえ男とよろしくやってるとはよ」

 もはや泥沼である。売り言葉に買い言葉、際限なく二人の怒りは増していく。

「くだらないだと? もう一度言ってみるがよい!」

「ああ、何度でも言ってやるぜ。くだらねえ、くだらねえ、くだらねえ! とりあえず、この野郎は一発殴らねえと気がすまねえ!」

 そしてジョーは、ウェインに躍りかかると、思い切り殴り飛ばした。ウェインは、口から血を吐きながら近くの木の幹に吹き飛ばされ、そこで体を打ち付けて崩れ落ちた。そして、それを見たクローディアの中で、何かが音を立てて切れた。

「ジョー、貴様あっ!」

 そして彼女は、エブリットも脱帽するほどの素早い動きでジョーの懐に踏み込み、本気を出したランスもかくやという程の拳をジョーに放った。

 あっけなく、すべてが終わった。終わってしまった。


 その頃宿屋では、再び仏頂面に戻ったエブリットが話し掛けていた。相変わらずその言葉には棘があるが、心なしか昨日より穏やかになったようにも感じられる。

「まったく、遅いと言わざるを得ませんが、まあ頑張ってくることです。うまくクローディアさんが見つかるといいですね」

 続けてランスが声を掛ける。

「気をつけてね。僕達も後から行くよ。集合はこの宿にしておこう」

 そしてさらにエリシアが、一礼しながら言った。

「首尾良く事が運ぶことを願っております。お気を付けて」

 三人が言葉をかけた相手は、大きく伸びをすると、にかっと笑った。なぜか、まごうことなきジョーがそこにいたのだ。

「おう。まあ、どうにかしてみせるって。なんたって」

「どうしたのです?」

 怪訝そうに問うエブリットに、ジョーは答えた。

「なんたって、約束したからな、あいつとは。どんな奴からも守ってみせるって」

「約束?」

 おうむ返しに尋ねるエブリット。

「おう。ずっと前からの約束なんだ。詳しいことは、話すと長くなるからやめとくけどな。じゃ、しばらく帰らなくても心配すんなよ」

 そしてジョーは、悠然と宿屋から足を踏み出して行ったのであった。町外れで起きていることも知らずに。