第15回

光風暦471年5月27日:気持ちを示す時

 武道大会の最終戦。

 舞台を取り囲む観衆もいつの間にかその数を大きく増していて、その歓声も怒号かと思われるほどに達している。

 そして衆人環視のなか、まず舞台にリリベルがのぼった。

 ほんの一週間前の表情豊かな彼女の姿はそこになく、代わりにあるのは、無表情のまま黙して立つ一人の剣士の姿だった。

 一切の感情を推し量れないその様子は、わざとそう振舞っているものなのだろうか。

 あるいは、彼女の身に何かが起こっているのだろうか。

 ここでそれを後者と判断した者がいる。ランスだ。

 彼はジョーとクローディアとを呼び、他の者に聞こえないように話した。

「リリベルさんは、誰かに操られているみたいだ」

 話を聞いた二人とも、さして驚く様子もなく、すぐに納得した。

「あの様子ではヒューイへの手加減は期待できないようだが、大丈夫なのだろうか」

 不安そうにクローディアがつぶやく。

「その点は心配いらねえぜ。

あの剣はヒューイの情熱に応える。

リリベルさんに帰ってきてほしいと願うヒューイの心が本物なら、絶対に負けねえよ」

 とジョーは自信満々に答え、そしてこう言った。

「じゃあちょいと、ランスと出かけてくるぜ。じきには戻る」

「いったい、どこに行くというのだ?」

 そこで歓声がひときわ大きさを増し、三人の会話は完全にそれに呑まれてしまった。


 ヒューイは試合前にジョーから聞いた言葉を反芻しつつ、舞台に上がった。

『お前さんは勝てる。お前さんの気持ちが本物である限りはな。

その気持ちを伝えることを、絶対にためらうんじゃねえぞ。

それができなければ勝ちはない。後悔しないためにも、思いっきりやってこい』

 あのリリベルの超人的な剣技を見て、正直なところ逃げ出したい気持ちだった。

 自分で本当に勝てるのか、ヒューイは甚だしく疑っている。

 しかし、それでも逃げずに舞台に上がったのは、やはり思う一念の力にほかならなかった。

 そしてヒューイはリリベルと正対して、剣の鞘に手をかけた。

 今度は抜かずに戦うわけにはいかない。手加減をしたら負けるのみだ。

 その様子を見たリリベルも、腰に吊った鞘から剣を抜き放った。

 初めて見る銀の刀身から、えもいわれぬ威圧感が放たれる。

 これが魔剣「神の怒り」の力なのか。周囲の空気自体が圧力を帯びて、体が押し潰されそうになる。

 あまりの力にヒューイは、無意識のうちに一歩後ずさっていた。

 その様子を見て、エブリットがほくそえんでいた。

「(予想に違わぬ素晴らしい力だ。

やはりあの剣の力と、担い手の力とが欲しい。

我が目的を果たすために)」

 そして、ちょうどそうして悦に入っていたところにランスが現れた。

 予想外の来客に驚いたエブリットは、目を丸くしてランスに声をかける。

「これはこれは……お越しいただけるとは思いませんでしたよ、救世者殿」

「うん。いきなりで申し訳ないけど、あなたに尋ねたいことがあってね」

「ほう。いったい、どのようなことですか?」

 不思議そうに、エブリットは首を傾げる。

「リリベルさんに魔法をかけて操っているのは、あなたじゃないよね?」

 出し抜けな問いに、エブリットは再び驚く。

「もちろんです。

今回の件は、いささか強引ながら、彼女の意思でこちらに来ていただいたのです。

操る必要など、あるはずがありません」

「ありがとう。それだけ分かればいいんだ」

 納得してうなずくランスに、エブリットは問い返す。

「いったい、何者が魔法などを?」

「分からない。でもいま、ジョーがそれを探してる。

『操ったって無駄だってことを思い知らせて、泣かしてやる』って豪語してたから、たぶん後は心配ないと思うよ」

「そ、そうですか。ありがたいことです。

不覚ながら、礼を申しあげなければなりません。

しかし」

「しかし?」

「……あの男で大丈夫なのですかね……」

「さあ、ね?」

 ちょうどそうしたやり取りがなされている間に、ヒューイは意を決して、携えた剣を抜き放つ。

 冴えた銀色の刀身が姿を見せ、「神の怒り」と向き合った。

 抜かれると同時に、鞘は空気に溶け込んで消えた。

 そしてその刹那、剣から「神の怒り」をも遥かに上回る「力」が放たれた。

 重くそして強いが、高圧的ではない「力」。人々を包み込み、鼓舞するような、とても大きな力だ。

 主神オーゼスの作ったという聖剣「勝者の剣」の力は、居並ぶ人々の想像を超えたものだった。圧倒された観客が、一様に固唾をのむ。

 しかし、剣の力ではヒューイのほうが勝るものの、持ち手の腕はどうか。

 ほどなく試合開始の号令が下され、それを証し立てる時がやってきた。

 リリベルは、無表情のまま剣を一閃する。

 何の容赦もない、本気の動きだ。

 観衆はそれを見て息を飲むが、ヒューイはそれより速くその斬撃に反応し、「勝者の剣」でそれを弾いた。

 ヒューイの技量だけでは決して受け流せない一撃だった。「勝者の剣」がひとりでに動き、ヒューイに力を貸しているのだ。

 自らの俊敏な動きに驚きつつも、いったん距離をおいて、ヒューイはリリベルを見つめる。

 そして、よく通る声で言った。

「先生、俺は」

 リリベルは、表情は変えなかったが動きを止め、続くヒューイの言葉を待った。

「俺は、先生に勝ってみせる! 勝ったら、先生は俺達のところに帰ってきてくれるんだから」

 リリベルはしばし聞き入る様子を見せたが、すぐにまた斬りかかってきた。

 今度は初撃よりさらに素早い。先の試合で見せた居合のように、見ることすら困難なほどだ。

 しかし、ヒューイはこれもまた弾いた。

 だが明らかにヒューイ自身の力は及んでおらず、体勢に無理があり、よろめいて数歩下がった。

 そこに追い討ちをかけるべく、リリベルは剣を引き、次の攻撃の態勢に入った。


 その頃、広場を囲む建物の一つの二階に、黒い長衣を着て風除けをかぶった男が座っていた。

 男はじっと試合の様子を眺めているようだ。風除けに隠れて目元は分からないが、したり顔をしている様子で、口元がうっすらと吊り上がっていた。

 この男が、リリベルを操っている張本人らしい。

 満足しきって観戦に没頭している男だったが、不意に背後で物音がして、我に返って振り向いた。

 次の瞬間、男は凍りついた。

 そこには、黒い全身鎧に身を固めた戦士が立っていた。

 天井に届きそうなほどの長身の戦士は、男に向きつつ、ただ黙して立っている。

 そして、その男の外套には、竜の顔をかたどった紋章が。

 ジョーだ。「勝者の剣」と対をなす、聖なる「勝者の防具」に身を固めた「運命の戦士」、セイリーズ・ジョージフ・ドルトン。

 戦士としての本来の姿を見せた彼は、殺意はないものの、相手を震撼させる威厳を漂わせていた。

 長衣の男は、狼狽しつつ尋ねる。

「『運命の戦士』……なぜここに」

 兜から除く口元を上げて、「運命の戦士」は、にやりと笑う。

「心配するな。貴様を倒しに来たのではない」

 その声は、まぎれもなくジョーのものだった。しかし、普段とは違う重みが漂っているため、知人であってもジョーだとは気付かないだろう。

 無論、見ず知らずのこの男に、目の前の戦士の正体など分かるはずもない。

 当惑し、畏怖を必死で隠しながら、男は尋ねる。

「ではいったい、何をしに来たというのだ」

「貴様に伝えたいことが二つあって来た。

一つは、貴様のかけた魔法がまったくの徒労だということ。

試合の結末を見て、悔しがるがいい」


 舞台の上では、リリベルがさらに強烈な一撃をヒューイに浴びせようとしていた。

 彼女の表情が相変わらず虚ろなのは、魔法で操られているため。

 本来の彼女なら、決してヒューイには向けないであろう攻撃を放とうとしている。

 しかしヒューイは諦めない。

 不安定な体勢ながら、「勝者の剣」を力の限り繰り出し、彼女の剣に合わせる。

 結果、青白い火花を散らして、双方の攻撃は相殺された。

「今の先生に、何があったかは分からない。でも!」

 観衆のどよめきとともに、ヒューイは攻めに転じる。

「先生は俺のことを助けてくれたんだ! 今度は俺が先生を助けるんだ!」

 今までのヒューイの動きとは、明らかに違っていた。

 彼の魂のこもった剣戟が、一筋の閃光となって「神の怒り」を直撃する。

 あろうことか、リリベルは少年の一撃に押され、飛びすさった。そして動きを止めている。

「(ヒューイの言葉が、彼女の心に影響を与えている)」

 その様子を見ながら、クローディアは確信した。

 そして、固唾を飲んで先の展開を見守った。

 ヒューイは叫ぶ。

「放っておいたら、俺はいつか死ぬところだったんだろう、先生?

先生はエブリットという奴に頼んで、俺を治してくれたんだ。

そんな先生を、このまま放っておくなんてできない!

絶対に先生を神殿に連れて帰って、そして、みんなでまた楽しく暮らすんだ!」

 その途端、リリベルは震えだし、そして自らの剣先を下げた。

 そして、ぎこちなく震える語調で、途切れ途切れに言葉を発した。

「ヒューイ……私は……あなたを一度……殺したのよ。

この……剣の……力で……」

 いつの間にか、彼女の顔に恐怖・後悔・自責、そうした感情が表れていた。

「(彼女を操る魔法の力が、解けかけている)」

 感嘆にも似た驚きを覚えつつ、クローディアはじっと舞台を見つめ続けた。