第9回

光風暦471年5月12日:逆襲開始

「さあ、行こう。

まずは武器を取り返しに」

 ランスはクローディアを連れて、扉の外に躍り出た。

 いったんそこで立ち止まって、周りの様子を伺う。

 周囲は、水を打ったように静まり返っている。しかし。

「何者かが近くにいる」

 クローディアがささやいた。

 ランスもうなずく。

 彼らのいた牢のそばには、もう一つ扉があった。

 その奥に誰かがいるようだ。二人はその気配を感じ取ったのだ。

 足音をしのばせて、ランスが扉に近付く。

 先程ランスが扉を割った音は、扉の向こうにも届いているはずだ。

 ならば、警戒してこちらの動きを伺っているに違いない。

 そう考えたランスは、扉に耳をあてた。

 扉の向こうからは、何の物音も聞こえてこない。

 しかし、気配は確かに伝わってくる。

 ランスは、蝶番の辺りにできている扉の隙間から、慎重に中を覗き込んだ。

「見張り達が寝ている」

 ランスは、クローディアにも聞こえるようにか、あるいは気が緩んだのか、先程より大きな声でクローディアに告げた。

 クローディアは、いぶかしんで首を傾げる。

「僕達の武器が、寝ている彼らのそばにある。

今が絶好の機会だ。取り戻そう」

 先程と同じ声量で、ランスがクローディアに言う。そして、クローディアが止める間もなく、扉の取っ手に手をかけた。

 取っ手は何の抵抗もなく回る。鍵すらかかっていないのだ。

「何と不用心な」

「でも僕達には好都合だよ。行くよ、クローディア」

 そう言うと、ランスは扉を開き、部屋に入った。

 部屋の中では鎧姿の戦士が二人、机に伏して眠っている。

 ランスは戦士達を一瞥すると、そのまま無造作に歩み寄り、武器に手をかけようとした。

 すると。

「かかったな!」

 戦士が一斉に飛び起き、その一挙動で、ランスに向けて剣を振るった。

 クローディアは、目を見開いて悲鳴をあげそうになる。

 しかし彼らの剣は、振り終わるまでついに、ランスを捕らえることはなかった。

「生憎だったね」

 電光のような動きで一歩後ろに跳びすさったランスは、鼻先で彼らの剣をかわしていた。

 穏やかそうな彼の見かけからは想像もできない、俊敏さや胆力が伺えた。

 そしてランスは間髪を入れず、腰だめに拳を作って、戦士達の中に飛び込む。

 不意を突かれた戦士達も応戦するが、その攻撃はまるで当たらない。

 剣を振り切ったままの体勢の戦士達に、まずランスは右の拳を振るい、そのままその肘を叩き込み、続けて左足を高く横に薙いだ。

 一人目の戦士は、鳩尾を殴り上げられて部屋の端まで飛ばされ、二人目は鼻柱を強打されて意識を失い、そして三人目は側頭部に強烈な蹴りを受けて倒れ込んだ。

 一撃必倒。鮮やかな立ち回りだった。

「聞いてくれてたみたいだけど、『寝ている』と言ったのはわざとだよ。

こんな怪しい状況で、油断すると思ったのかい」

 と言い残してから、悠然と奪われた武器を拾い上げ、鞘に入ったクローディアの剣を彼女へ投げて渡した。

 クローディアは、目を見張りながらランスを讃えた。

「今の動き、ひとかどの方とお見受けした。

ランス。正直に申して、私はあなたの力を見誤っていたようだ。驚いた」

「ひとかどかどうかはともかく、クローディアを守るって豪語したからには、このくらいできないとね」

 はにかみながら、ランスが答えた。

 が、その瞬間、彼の表情が強ばる。

 クローディアに背後から、新手の戦士が飛びかかってきたのだ。

 どうやってか、洞窟の物陰に潜んでいたらしい。

 完全に、ランスは不意を突かれ返された形となった。

「クローディア、後ろ!」

 すかさず叫ぶが、それからの反応では間に合わない。

 既に敵の剣は、次々とクローディアに向かって振り下ろされていた。

 しかし、続けてランスは、さらに驚くことになる。

 剣がクローディアを捕らえた瞬間、金属質の音響とともに、青白い閃光が飛び散った。

 振り下ろされた全ての刃に対して、次々と閃光が飛ぶ。

 何かの力が、剣をことごとく弾いたのだ。

 魔力だ。

 クローディアの持つ強い魔力が、彼女の体を防御しているのだ。

 この世界の人々は、程度の差はあれ、こうした魔力による防御力を持っている。しかし、攻撃を完全に防ぐほどの魔力を持った存在は、ランスも見たことがなかった。

 「人造魔神」の想像を超えた力を、はからずも目の当たりにすることとなったのだ。

「効かぬ」

 クローディアは、顔色一つ変えない。

「人造魔神の力、知らずに襲ってきたのか」

 そして、表情を消して戦士達に振り向き、彼らを無感情な視線で見つめる。

 既に戦士達には、一目散に逃げ去る以外、なすすべはなかった。

「す、すごいよ。クローディア」

「人を殺めずに済んだとは。この力も、役に立つことがあるものだな。

さあ行こうか、ランス」

 まんざらでもない笑顔に戻ったクローディアは、ランスとともに出口に向かって歩き出した。


 ランスやクローディアがいた場所は袋小路だったため、出口に向かうのは容易だった。

 しかし、ただで出られるはずもなかった。

 彼らを捕らえたのは、クローディアでさえ恐れるほどの力を持つエブリットなのだから。

「来たな」

「うん。お出ましだね」

 クローディアとランスは、ほぼ同時に、薄闇の通路に立つ人影を認めた。

 エブリットだ。

 クローディアの背に迫るほどの細長い金色の剣を手にして、エブリットは二人をじっと見ている。

「クローディアさんを一人で連れてくるべきでしたね。

そうすれば、抵抗する気も起こさなかったでしょうから」

 そう言ってエブリットは、一歩前へと進んできた。

 ランスはクローディアをかばい、一歩前に出る。

「心配はいりません。クローディアさんには危害は加えませんよ。

私にとっての、大事な道具ですからね」

 その言葉に、ランスは押し殺した声で答えた。

「気に入らないね、その言い方。

クローディアは道具じゃない」

「そうですか。ですが、そのことで議論するつもりはありません」

 ランスの言葉を、意にも介さないエブリット。

「死に行く者と議論しても、時間の無駄ですから。

……取るに足らない存在だと思っていたあなたが、意外に邪魔なようですから。

これ以上クローディアさんをそそのかさないよう、あなたをこの場で消そうと思うのですよ」

 そしてエブリットは、ゆっくりと剣を振るった。

 すると刀身の軌跡に沿って、陽光に照らされた硝子の粉のように、まぶしい光の粒が舞った。

 魔法の剣だ。

 尋常ではない攻撃力を備えていることは、容易に推し量れる。

 これがエブリットの技量と組み合わさると、とてつもない力を振るうことになるのは間違いない。

 クローディアがランスの身を案じ、下がらせようと手を伸ばす。

 だがそれより先にランスは、臆さず大きく一歩、前に踏み出た。

 その様子が気に入らなかったらしく、エブリットは冷たく言った。

「少年よ。一応、名を聞いておきましょうか」

 ランスは、剣の柄に手をかけて、自らの正体を告げた。

「救世者(セイビアー)、ランス・ダーウィン」